宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2017.08.30
  • 更科修一郎

更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー 第11回 水道橋から神楽坂へ・その3【第4水曜配信】

〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』、今回は水道橋から神楽坂への3回目です。神楽坂通りを登った善国寺の割烹で豆腐膳を食べながら、90年代のサブカルチャー界隈の裏側を振り返る更科さん。話題は「神憑り」と言われた更科さんの編集技術の源泉へと及んでいきます。

第11回「水道橋から神楽坂へ・その3」

神楽河岸を横目に、飯田橋から神楽坂下へ入るとすぐの場所に、かつて「ツインスター」というディスコがあった。
1992年12月のオープン時はジュリアナ東京など、バブル期以来の盛り場であった芝浦ウォーターフロントの大店の影に隠れていたが、90年代中盤になると、ボディコンお立ち台ブームは沈静化し、大店は次々と閉店した。
数少ない大店となったツインスターは、90年代末、パラパラの聖地として脚光を浴びたが、世の流れはユーロビート主体のディスコから、テクノ主体のクラブカルチャーへ移行していた。そのため、パラパラ系のイベントと並行して、コスプレイヤーのダンスパーティーも頻繁に行われていた。
筆者が仕事で神楽坂に足を運んでいたのは、2003年の閉店直前だが、その頃にはコスプレダンパばかり目立つようになっていた。コスプレ文化に依存することで、このディスコは辛うじて生き延びていた。裏を返すと、オタクカルチャーにはバブル期が遅れてやってきていた。

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現在、ツインスターの跡地はフレンチレストランになっているが、神楽坂という街は、小洒落たフレンチやイタリアンがうんざりするほど多い。花街特有の路地を、欧米の街角に見立てているのだろう。脇の小路へ入れば、隠れ家風の店もやたらと多い。
フレンチやイタリアンは好きだが、神楽坂のそれらは、一見で入るには敷居が高い。というか、神楽坂の飲食店の大半は、男が独りで入ることを想定していない。昔からそういう街で、仕事で来ていた頃も、ランチは古い洋食屋や喫茶店で済ませていた。
洋食屋と言えば、ブラッスリー・グーというビストロのランチが美味かったが、矢来町を跨いで箪笥町の方まで足を伸ばさなくてはならない。都営大江戸線の牛込神楽坂駅が近いが、午後の用事は反対側の江戸川橋寄りだ。  陽射しはどんどん強くなる。行って戻るほどの気力はない。
恵比寿に新東記というシンガポール料理の有名店があり、神楽坂にも支店がある。一時期、よく会食で使っていて、海南鶏飯(チキンライス)や肉骨茶(バクテー)をランチで提供していたな、と思い出した。
筆者は老抽(甘い中国醤油)で黒々としているマレーの肉骨茶が好きで、胡椒主体のシンガポール肉骨茶はそれほどではないのだが、念のためスマートフォンで確認すると、2014年で閉店していた。支店は2011年オープンだったから、3年しか続かなかったことになる。
液晶画面の時計表示を見ると、ちょうど12時だった。こうなったら、イチかバチか「宮した」へ行ってみるか。

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