宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2017.01.24
  • 更科修一郎

更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第4回 秋葉原・その3

今朝のメルマガは〈元〉批評家の更科修一郎さんの連載『90年代サブカルチャー青春記~子供の国のロビンソン・クルーソー』の第4回をお届けします。
80年代末、宮崎勤事件により社会的に糾弾されたオタクカルチャーは、90年代になると最適化/畸形化から実験的な美少女ゲームを生み出します。「理系文化」としてのポルノグラフィの隆盛から、web社会という「巨大な子供の国」に至る過程を振り返ります。


 
▼プロフィール
更科修一郎(さらしな・しゅういちろう)
1975年生。〈元〉批評家。90年代以降、批評家として活動。2009年『批評のジェノサイズ』(宇野常寛との共著/サイゾー)刊行後、病気療養のため、活動停止。2015年、文筆活動に復帰し、雑誌『サイゾー』でコラム『批評なんてやめときな』連載中。
 
本メルマガで連載中の『90年代サブカルチャー青春記』配信記事一覧はこちらのリンクから。

前回:更科修一郎 90年代サブカルチャー青春記〜子供の国のロビンソン・クルーソー 第3回 秋葉原・その2

 
■第4回「秋葉原・その3」
 
 昼食を終え、再び万世橋を渡ると、「安心お宿」というカプセルホテルにチェックインする。カラオケボックスで知られるパセラリゾーツのホテル部門だ。
 夜、仕事の打ち合わせがあるので、その前に風呂に入りたかったのだ。
 秋葉原には、昌平橋の裏手に「神田アクアハウス江戸遊」というスーパー銭湯があり、朝まで営業している。
 料金も手頃なので、昔は深夜によく立ち寄っていたが、昌平橋より万世橋の方が駅に近く、宿泊できるなら、割高でも使い勝手が良い。
 特に、15時にチェックインして12時にチェックアウトできる滞在時間の長さは、睡眠時間帯が一定ではないフリーランスには有り難い。
 二階にはフリードリンクの漫画喫茶風なラウンジがあり、夜はかなり混んでいるが、16時ではそれほどでもない。
 打ち合わせの内容も定期報告が大半で、たいしたものではないが、書類のやり取りはあるので、手持ちのノートパソコンで資料をまとめ、備え付けのプリンターで印刷する。
 ビジネスホテルの機能もだいたい揃っている。
 
 はじめてカプセルホテルに泊まったのは、1985年の国際科学技術博覧会――つくば科学万博だ。
 当時の筑波研究学園都市は開拓されたばかりの原野で、宿泊施設は著しく不足していた。
 そのため、急ごしらえでプレハブ建てのカプセルホテルが建てられたのだ。
 存在を知ったのは、たぶん、赤塚不二夫が描いた子供向けの『ニャロメの非公式科学万博おたのしみガイドブック』(学習研究社)という本で、万博に相応しい未来の宿泊施設、とかなんとか紹介されていた。
 もっとも、カプセルホテル自体は、1979年に大阪で発明されている。
 つくば科学万博の時点では、ほとんど知られていなかったが。
 小学生の筆者と共に泊まった父親は「カイコ棚のドヤだな」と呆れたが、未来的イメージを纏わせて、別物を装うあたり、いかにも日本らしい発想だ。
 後に、設計者は黒川紀章で、氏が得意としていたメタボリズム建築の延長線上にあったと聞いた。
 なるほど、新橋の中銀カプセルタワービルと同じ発想だったのだ。
 とはいえ、1985年の貧しかったカプセルホテルと比べると、現在のカプセルホテルは充実している。
 
 もうひとつ、つくば科学万博の記憶を付け加えると、本当は国鉄の臨時寝台列車「エクスポドリーム号」に乗りたかった。だが、予約は埋まっていた。
 これは、始発の土浦駅で一晩停車し、翌朝、そのまま万博中央駅へ向かうだけの、わずか10km足らずの夜行列車だった。
 そんな奇妙な手段を講じなければならないほど、宿泊施設の不足は深刻だった。
 そもそも、東京や横浜からの日帰りが不可能に近いほど、交通の便が悪かったのだ。
 
 秋葉原とつくば市をわずか45分で結ぶ「つくばエクスプレス」が開通したのは、万博から20年後の2005年で、筆者は『つくば科学万博クロニクル』(洋泉社)という本の企画に関わっていた。
 懐古的な文章をいくつも書いたが、科学技術に彩られた未来予想図は、未来から振り返ると、面白くも滑稽なものばかりだった。
 だが、80年代の少年少女が抱いた科学技術……ハイテクノロジーへの幻想は、それまでの「文系文化」だったサブカルチャーとは違う、「理系文化」を形成していくことになる。
 未来予想図には記されていなかった、最適化/畸形化されたポルノグラフィを開拓しながら。
 
■■■
 秋葉原へ通うようになったのは、高校時代――1992年頃だ。
 父親が転勤族で、小学校時代は横浜で暮らしていたから、遊び場は横浜駅か伊勢佐木町だった。ラジオ会館のNEC Bit-INNは噂に聞いていたが、秋葉原は遠かった。
 中学校の三年間は、日本にすらいなかった。東南アジアのとある国で暮らしていた。海外転勤した父親がそのまま脱サラし、現地で会社を興してしまったのだ。
 バブル経済の真っ盛りとはいえ、経営は厳しく、日本人学校の担任からは「お前の父親は寄付金が少ない」と罵られ、殴られた。
 草なぎ剛主演のテレビドラマ『嘘の戦争』(関西テレビ)の冒頭で、現地在住の日本人が日本人を騙す、バンコクでの日日詐欺が描かれていたが、日系企業の転勤族以外でわざわざ東南アジアへ流れてくるような人間は、その半分以上が屑だ。
 日本人学校の教師も例外ではなく、親の寄付金の多寡で殴る生徒を選んでいた。帰国後に調べたところ、この羽山(仮名)という体育教師は、過去に千葉の中学校で暴力事件を起こしていた。
 資金繰りに困り、社員の給料をゲンティン・ハイランドというリゾート地のカジノで稼いで払ったこともあった。父親は「最低限、稼ぐだけなら、方法はある。まったく面白くないがな」と言っていた。
 そんな調子であるから、三年間、一度も一時帰国できなかった。
 LCCのエア・アジアもない時代だ。往復の航空運賃だけで三十万近くかかるから仕方なかったのだが、同時にそれは、昭和天皇崩御から宮崎事件にかけての数年間を体感していない、ということだ。
 
 宮崎事件の顛末自体は数日遅れで届く新聞で知っていた。しかし、一ヶ月遅れで届くテレビ番組の録画ビデオの大半はドラマやアニメで、ワイドショーはなかった。
 だから、テレビで加熱していく報道を観ることはなかった。
 アニメやパソコンといったホビー系雑誌でしか、日本のカルチャー状況を知らなかった筆者は、80年代の牧歌的な世界がそのまま続いていると思っていたのだ。
 家族からは、現地のインターナショナルスクールへ進学するよう薦められたが、筆者は「まんがの森もない国で暮らせるか」と啖呵を切った。
 英語の成績が悪かったからだが、それ以上に、このままでは二度と日本へ帰れないのではないか、という恐怖があった。
 結局、紆余曲折の末に、単身、日本へ帰ることになった。

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