宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

Serial

  • 2018.03.09
  • 宇野常寛

宇野常寛『母性のディストピア EXTRA』第3回 坊屋春道はなぜ「卒業」できなかったのか

2017年に刊行された『母性のディストピア』に収録されなかった未収録原稿をメールマガジン限定で配信する、本誌編集長・宇野常寛の連載 『母性のディストピア EXTRA』。90年代を代表するヤンキー漫画『クローズ』の登場人物の中で、唯一勝利や覇権に興味を示さなかった坊屋春道。ヤンキー社会の擬似的な自己実現に無関心だからこそ「最高」の男でありえた春道は、仲間たちが「成長」するなかなぜ「卒業」できなかったのか--?
(初出:集英社文芸単行本公式サイト「RENZABURO[レンザブロー]」)

00edcc826242a9e88b825f61b8713e3ad5b03fa6

▲『クローズ(1)

「最強の男」から「最高の男」へ

高橋ヒロシ『クローズ』は90年代を代表するヤンキー漫画である。月刊「少年チャンピオン」に1990年から1998年まで連載されていた同作は、マイナー雑誌の掲載と言うこともあり決してメジャーな作品ではなかった。しかしヤンキー漫画ファンのあいだで9年の長期連載のあいだにじわじわとファンを獲得、さらには松本人志など芸能人のマスメディアによる紹介などでその支持を拡大していった。2000年代にはその前日譚的な物語を描く『クローズZERO』が二回にわたって映画化されいずれもヒットを記録している。現在もその続編『WORST』が連載中で高い支持を得ており、高橋ヒロシおよび『クローズ』シリーズは現代におけるヤンキー漫画を代表する存在であると言えるだろう。

なぜ高橋ヒロシで、なぜ『クローズ』なのか。本連載の読者は疑問に感じるかもしれない。しかし本連載でこれまで論じてきた問題を追究する上で、高橋ヒロシという作家について論じることは非常に大きな意味をもつと私は考えている。そのためにまず『クローズ』の概要をもう少し詳しく説明しよう。

物語の舞台は「とある街」とされる。地名は明かされないが、作中の描写から考えて人口数万〜十数万人の地方都市と思われる。(ファンコミュニティにおいては高橋の在住している長野県松本市がモデルと言われている。)この「とある街」のいわゆる「底辺」高校(男子校)が鈴蘭高校だ。「カラスの学校」の異名を持つこの鈴蘭高校は、地域でも有数の不良生徒の集まる学校として知られている。と、いうより全校生徒の大半がいわゆる「不良生徒」であり、彼らはそれぞれ数人から数十人、多い場合は百人単位で派閥を構成し、学校社会の覇権を獲得するために日々抗争を繰り返している。物語の前半はこの鈴蘭高校内の派閥争いが、中盤以降は他校との抗争が描かれることになる。だが、物語の主人公の春道は、いや春道だけはこの覇権抗争に一切興味を示さない。

〈オレはおまえらと同じで/よそを放り出されて鈴蘭(ここ)へ来たただの勉強ぎらいさ/ただちょっと違うのは/オレはグレてもいねーしひねくれてもいねえ!/オレは不良なんかじゃねーし悪党でもねえ!!〉

これは序盤のエピソードで「お前は一体何ものだ」と尋ねられた春道が自らのスタンスを語る場面での台詞である。そう、彼は不良でもなければグレてもいない。作中最強クラスの戦闘力をもつ主人公でありながら、権力抗争に一切関心がないだけではなく、ここで春道はそもそも自分は「不良」ではないと宣言している。春道は単に「勉強が嫌い」で「ケンカが好き」なだけで、決してアウトローであることに意味を見出していないのだ。したがって「鈴蘭のてっぺん」にも「大人社会への反抗」にも興味がない。春道の行動原理は目の前の快楽(楽しそうなことがある、女の子と知り合える)の追求と、仲間を守る、このふたつだけなのだ。圧倒的な戦闘力(ケンカの強さ)をもち、鈴蘭とその周辺をめぐる状況を一変させることができる春道だが、劇中の登場人物の中で彼だけがそんな勝利と覇権に興味を示さないのだ。

関連記事・動画