宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2017.08.25
  • 宇野常寛

【新連載】宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第一回 中間のものについて(1)【金曜日配信】

今回から、本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』が始まります。<ズートピア>のジュディが語った「現実は厳しい」という言葉が指し示した、グローバル/情報化を支える多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーの敗北。まずはその理由について論じます。 (初出:『小説トリッパー』2017夏号

1 ウサギのジュディと二〇一六年の敗北

Real life is messy. We all have limitations. We all make mistakes. Which means―hey, glass half full!―we all have a lot in common. And the more we try to understand one another, the more exceptional each of us will be. But we have to try. So no matter what type of animal you are, from the biggest elephant to our first fox, I implore you: Try. Try to make the world a better place. Look inside yourself and recognize that change starts with you. It starts with me. It starts with all of us.

その日、ウサギのジュディは言った。「現実は厳しい」と。「私たちには限界がある。私たちは間違いを犯す」と。そしてだからこそ「楽観主義が必要だ」と。「私たちには共通点がある。お互いを知れば、お互いの違いも明らかになる。だからこそお互いを知る必要がある。自分がどんな人種でも。大きなゾウでも、そしてズートピア警察初のキツネでも」

これはウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのアニメ映画〈ズートピア〉の結末でヒロイン(ウサギのジュディ)が行う演説の一説だ。

ジュディの言う「厳しい現実」とは何か。それは二〇一六年に私たちが直面していた現実そのものだ。巨大なゾウから小さなネズミまで、そしてウサギのような草食動物からキツネのような肉食動物まで、じつに様々な動物が共存する夢の街〈ズートピア〉――それは多文化主義の理想を追求した今日の欧米社会そのものであり、そして映画の中で〈ズートピア〉を襲った危機――種の間に発生した憎悪を原動力にしたマイノリティの排斥運動――とは、世界のあらゆる場所でその反動が噴出したこの二〇一六年に私たちが直面していた危機そのものだった。

アニメの中でウサギのジュディは〈ズートピア〉の理想を守るために奮闘する。自らの内なる偏見に向き合い、それを克服し、相棒の肉食動物(キツネのニック)と協力して種の対立を扇動する政治家と対決し、その陰謀を暴き出す。そして事件は解決しハッピーエンドを迎えた物語の結末で彼女は改めてこう述べるのだ。「現実は厳しい」と。

実際に現実は厳しかった。〈ズートピア〉が公開された数カ月後にイギリスの国民投票はEUからの離脱を支持し、そしてさらにその数カ月後には、人種間に「壁を作れ」と扇動して恥じないドナルド・トランプがディズニーを産んだアメリカ合衆国の第四十五代大統領に就任したのだ。そう、この〈ズートピア〉は近年の欧米に台頭する排外主義の、グローバリゼーションへのアレルギー反応に対する政治的メッセージを前面に押し出した作品だった。

広く知られている通りディズニーのアニメーションは戦中戦後に政治的なプロパガンダとして利用された歴史がある。これらの作品でナチスの軍需工場での強制労働の悪夢にうなされ、日独への敵対心と殲滅の必要性を説くドナルド・ダックの姿を目にすれば、今日を生きる人々の多くは驚愕するはずだ。このとき、映像は、劇映画は、アニメーションは、現実からまだ充分に独立していなかった。

しかし、七十年後にディズニーのアニメは決定的に現実と対決していた。しかも、そこでアニメが戦っていたものは違った。それは外側ではなく内側から生まれた敵だった。だからこそウサギのジュディは「私たちには限界がある。私たちは間違いを犯す」と、自分たちに言い聞かせなければならなかったのだ。

しかし、ウサギのジュディの願いも虚しく、現実は逆方向に舵を切った。〈ズートピア〉の理想は敗北したのだ。

そう、二〇一六年は人類にとって二つの意味で敗北の一年だった。

このとき人々が経験したのは、前世紀の人類がたどり着いた一つの理想(多文化主義)と、今世紀の人類が期待する最大の理想(カリフォルニアン・イデオロギー)の敗北だった。多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギー、これらはグローバル/情報化を支える両輪であり、それぞれ政治的アプローチ(多文化主義)と経済的アプローチ(カリフォルニアン・イデオロギー)をもって、それらを実現するための思想だった。

しかし、この二つの理想はいま、危機に瀕している。グローバル/情報化はかつての先進国と後進国の格差を決定的に縮小する一方で、それと引き換えにそれぞれの国内の格差を拡大していく。平均的なアメリカ人と平均的なソマリア人との格差は(相対的には)大きく縮小されたその一方で、アメリカ人同士の格差はこれまで以上に拡大する。こうして、多文化主義の甘い理想は摩擦の大きな移民社会の現実に裏切られ、カリフォルニアン・イデオロギーに基づいたイノベイティブな情報産業の世界展開は二〇世紀的な工業社会に置き去りにされた人々を遺棄しつつある。その結果として、世界中でグローバル/情報化に対するアレルギー反応が噴出する。精神的にも、経済的にも、まだ国民国家という名の境界のある世界を必要とする人々の怨嗟がいま、世界中を覆い尽くそうとしているのだ。

そしてこの巨大な反動は、まさに多文化主義とカリフォルニアン・イデオロギーを牽引してきた二つの「先進国」で顕在化した。EUからの離脱を支持したイギリスの国民投票、そしてドナルド・トランプに勝利を与えたアメリカ大統領選挙――これらはいずれもグローバル/情報化に対する世界規模でのアレルギー反応の噴出であり、そしてなし崩し的に実現されつつある「境界のない世界」への反動だった。これが、二〇一六年の敗北だ。

そう、「境界のない世界」はいま、敗北しつつある。特にカリフォルニアン・イデオロギーにとって、これは最初のつまずきであったと言っても過言ではないだろう。

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