宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2018.03.07

中川大地 タンポポの綿毛を追って ~『この世界の片隅に』ファンムーブメントの軌跡~

2016年11月、わずか63館で封切られた映画『この世界の片隅に』は、熱烈なファンムーブメントの後押しを受けて公開規模を拡大、現在でも上映が続く異例のロングランヒットとなりました。3月15日はNetflix配信開始、3月18日は日本映画専門チャンネルにて初のテレビ放送が行われます。公開前のクラウドファンディング当時からファンムーブメントに参加してきた評論家の中川大地さんが、その軌跡を追いながら、作品と現実が呼応する本作の意義を改めて問い直します。
※本稿は2017年7月発売『ありがとう、うちを見つけてくれて 「この世界の片隅に」公式ファンブック』(双葉社)掲載の同名原稿の再録です。

▲『ありがとう、うちを見つけてくれて 「この世界の片隅に」公式ファンブック』(双葉社)

2017年6月16日、映画『この世界の片隅に』の累計動員数がダブルミリオンを突破した日の翌朝、テアトル新宿での凱旋上映で200万100人目くらいの観客として祝福する時間を、筆者は来場者たちと共有していた。
各地のファンミーティングや広島でのロケ地巡り等で知り合ったその面々は、古参の原作ファンから、アニメ化に際してのクラウドファンディングの支援者、主演女優の応援団まで、それぞれまったく異なる背景から参入してきた人々だ。しかしながら、みなSNSでの発信や勝手イベントの実施・参加など、並外れた能動性をもって自ら作品にコミットし、“自分事”としての使命感をもって意識的にムーブメント化しようとする人々の割合が非常に高いという点だけは、不思議と一致していた。
そうしたファンムーブメントは、どのように触発され、本作を異例のロングランヒットへと押し上げたのか。本稿では、筆者が本作をめぐる折々の縁に目の当たりにしてきた軌跡を辿り直しつつ、その意味を改めて問い直してみたい。
こうの漫画が誘う「昭和越しの戦争体験」
2005年、初夏。右手を失ったすずさんが激昂した玉音放送から干支が一巡りし、終戦60年の節目を偲ぶ企画が様々に登場していたおりのこと。
駆け出しのライターだった筆者は、戦後日本の漫画やアニメ等の歴代のサブカルチャーが、いかにあの戦争を描いてきたかを検証する雑誌特集に携わっていた。その前04年には、こうの史代の『夕凪の街 桜の国』が刊行されて大きな話題を呼んでおり、双葉社の担当編集である染谷誠氏を訪ね、同作の反響について訊かせていただいたことがあった。
取材の席上、広島での被曝体験に端を発する3世代の戦後史を繊細な筆致で描いた同作に続いて、呉軍港空襲を題材に、いよいよこうのが戦中の時代そのものを描く新作を準備中であるとの話を聞いた。それが、筆者が『この世界の片隅に』という作品の存在を知った、最初の機会だった。

その呉ではこの年、大和ミュージアムこと呉市海事歴史科学館がオープンしている。同館が協力した映画『男たちの大和/YAMATO』の公開とも相まって、戦後長らくタブー視されてきた「軍都」としての歴史を直截に見据えていこうとする機運が熟してきつつあったわけだ。
だから筆者の目には、『この世界の片隅に』の登場は、まさに『夕凪の街』から『桜の国』への変遷で描かれたような語り手世代の交代によって、ようやく左右のイデオロギーの呪縛を脱したフラットな視点から、日本人の戦争の語り継ぎ方が様々な意味で更新されていく大きな流れとして見えていた(実際、大和ミュージアムの施設や関係者たちの人脈は、後述する映画化に際しての現地支援ムーブメントでも中核的な役割を果たしていく)。
直接の戦争体験者たちからの語り継ぎを得る機会は、やがて完全に失われていくほかはない。だとするなら、私たちはいかにして風化と忘却に抗いながら、しかも押しつけがましい教条に陥ることなく、大切な記憶を後生に遺していくことができるのか。

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