宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.07.23
  • ウェブカルチャーの系譜,稲葉ほたて

なぜゲーム産業はIT産業ではないのか(稲葉ほたて『ウェブカルチャーの系譜』第6回)

本日は稲葉ほたての好評連載『ウェブカルチャーの系譜』最新回をお届けします。
どうしても分けて考えられがちなゲーム産業とIT産業ですが、もともとこの2つはパーソナル・コンピュータ革命がもたらした双子のようなもの。今回の連載では、なぜその2つが分けて考えられるようになったのかを、日米の文化的差異をヒントに分析していきます。


 

ウェブにおける「共有」の問題を考えるときに、常に参照されるのがハッカー倫理である。それをスティーブン・レヴィは、ハッカーの歴史を描いた古典『ハッカーズ』の冒頭においてこう要約している。

「コンピュータへのアクセス、加えて、何であれ、世界の機能の仕方について教えてくれるものへのアクセスは無制限かつ、全面的でなければならない。実地体験の要求を拒んではならない!」
p33,『ハッカーズ』スティーブン・レビー(工学社・1987)

レヴィは黎明期にコンピュータに触れた人々にとって、これは「声高に議論されるよりも、暗黙に了解されるものであった」と述べて、このハッカー倫理が(パーソナル)コンピュータ文化の発展史における通奏低音であったことを証明しようとする。
彼がこの『ハッカーズ』を米国で上梓した1984年は、ハッカーにまつわる映画や、サイバーパンクなどのSF小説が次々に登場しており、その存在に対して人々の関心が高まっていた時期だった。日本でパソコン通信が始まったのも、この数年後のことである。そうした中で、このレヴィによる歴史観そのものがハッカー文化の聖典の一つとしての地位を獲得したのである。

ところで、この『ハッカーズ』という本を今読み返してみると、不思議に「ゲーム」にまつわる描写が多いのが目につく。例えば、ハッカー倫理を記した第二章につづく第三章の表題は、いきなり「宇宙戦争」である。これは最初期のコンピュータゲームの名作(英題は『Spacewar!』)で、ノーラン・ブッシュネルがアタリ社を創業するキッカケになったゲームとしても知られる。その後もこの本では、あらゆる場所でハッカーたちがゲームを楽しんでいる描写が差し挟まれる。そしてついに、最後の部では「ゲーム・ハッカーたち」と題して、米国ゲーム産業の黎明期の姿が描かれるのである。

しかし、それは特段、不思議な話ではない。ファミリーコンピュータの登場以降、ゲーム機のハードウェアが専用機に席巻されたために、現代の我々はIT産業とゲーム産業を切り離して考えてしまいがちだ。しかし、それらはともにパーソナル・コンピュータ革命がもたらした双子のようなものである。年配の読者であれば、専用機の普及後にさえパソコン機能がついたゲーム機があったのを覚えている人も多いだろう。

また、このことは先日逝去した、まさに任天堂の代表取締役社長だった岩田氏の以下のような言葉からもわかる。

岩田聡・任天堂社長の訃報に接して(編集長) | インサイド

この基調講演で彼は、自らをコンピュータの普及機に最初に魅せられた人々の一人として語る。ジョブズやザッカーバーグと、岩田聡を並べて語る人はあまりいないだろう。しかし、両者の根は同じパーソナル・コンピュータ革命にある。その革命がもたらした帰結の昼の顔がiPhoneやFacebookであるとすれば、その夜の顔がファミコンやWiiであった。

だが、専用機の普及という事情を踏まえた上でも、やはりこの『ハッカーズ』という本が「ゲーム」という娯楽への言及を強く押し出して、ハッカー文化を描いているのは、現代においては隔世の感がある。というのも、その後ハッカー文化は90年代に入り、米国政府との衝突を経て、むしろしたたかな政治性を帯びていくからだ。そのことは前回にも紹介した、同じレヴィの手による『暗号化』などの著作に詳しい。

事実、この本の出版から長い時間を経て、ハッカー文化そのものが、今や当時に比べてかなり政治性を付与されたイメージに変貌している。
その印象は、例えば2004年に上梓されたジョン・マルコフの『パソコン創世 第三の神話』という本に顕著である。当時のシリコンバレーがいかにカウンターカルチャーの気風と強く手を結んでいたかを闊達に描き出したこの本は、最後にフレッド・ムーアという反戦運動家の政治青年が伝説のパソコンクラブ「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」【※】を立ち上げたところで終わる。

【※】アップル創業者のスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが在籍していた、黎明期のパソコン文化に強い影響を与えたパソコンクラブ。

『ハッカーズ』におけるムーアの扱いは、あまり大きなものではない。せいぜい従来の社会運動とハッカーイズムの違いを理解せぬまま、コンピュータを政治という「目的」に利用しようとして挫折し、会を立ち去った創立者というくらいの扱いである(ハッカーイズムは、ハックそのものを自己目的化する)。
それに対して、本書ではむしろコンピュータをあまり理解しないまま、自らのコミュニズム的な政治思想をぶつけたムーアの夢こそが、現代の様々なコンピュータ文化の礎になっていると論じている。実際、ムーアが口癖のように述べていたという「共有」とは、金銭への嫌悪を伴う、ほとんど私有財産の否定に近いニュアンスを帯びている。彼が夢見たというオルタナティブなコミュニティ同士のネットワークも、彼の社会運動と強く結びついていた。それらは、レヴィが要約したようなハッカーイズムと共鳴するところはあるにせよ、あまりに政治的にすぎる。

しかし、ジャスミン革命や雨傘革命、あるいはWinnyやYouTube、UberやAirbnbを目にしてきた現代の我々は、むしろ60年代後半のある種の極左青年の類型であったムーアの夢にも、いやその夢にこそリアリティを覚えるのではないだろうか。
少なくともコンピュータという存在が、法的な拘束や業界慣習などによる規制を加えない限り、「富まざる者にpowerを与え、富める者からpowerを奪う」革命の装置たりえることを私たちはよく知っている。「コモディティ化」のような言葉は、その本質を情報弱者に向けて口当たりよく言い換えた言葉にすぎない。そもそも、前回まで論じてきたようにウェブカルチャーにおける行動は、市場の外側で行われる「贈与」による交換を相対的に強化していくものである。

■ 日本におけるコンピュータ文化の受容

では、このような北米由来のコンピュータ文化は、日本においていかに受容されてきたのだろうか。以下の漫画家・すがやみつる氏の文章は、その当時の雰囲気を伝えるものだ。特に注目したいのが、米国の実名前提のコンピュサーブに慣れた氏が、日本のパソコン通信に本名で書き込んだところ、ユーザーから非難を浴びてしまったというエピソードである。

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