宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2019.07.17
  • 碇本学

碇本学 ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本社会の青春 第7回『ナイン』の成功と6人の編集者たち(前編)

ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。第7回では、少女漫画誌から少年サンデーへの復帰、そして『ナイン』でブレイクを果たすまでの時期を語ります。才能はあれど時代に歓迎されなかったあだち充。そんな彼を粘り強く支えたのは6人の担当編集者たちでした。

あだち充の本当のデビュー作

1970年にデラックス少年サンデーにて『消えた爆音』で漫画家デビューしていたあだち充は、編集者の異動もあり少女誌の少女コミックに活躍の場所を移していた。70年代初頭から中盤にかけて劇画漫画は、学生運動の下火とともに、次第に人気や勢いに陰りが出てきていた。もともと劇画とは肌が合わなかったあだち充は、少女コミックで連載している萩尾望都や竹宮惠子たち「花の24年組」の自由な作風や活躍を見ながら、自分のやりたかったことを少しずつながら表現できるようになってきていた。
少女漫画誌で活動していたあだち充に、少年漫画誌に復帰する話が出たのは1978年だった。漫画家としてデビューしてから8年、原作付き漫画やコミカライズ、学年誌に漫画を描いていたあだちにとって、漫画人生を変える作品が掲載されることになる。
少年サンデー増刊1978年10月号に掲載された『ナイン』は、1980年11月号まで2年間続く。これはあだち充の本当の意味でのデビュー作であり最初のヒット作になるのだが、実は当初、一話だけの読み切りという話だった。なぜ、読み切り作品が月刊連載になり人気作になっていったのか。また、なぜあだち充に少年漫画誌への復帰の要請があったか。その理由は、当時の少年サンデーが抱えていた問題によるものだった。
今回取り上げる『ナイン』という、あだち充のその後の作品の原型とも呼べる漫画は、様々な要因が重なったことで生まれたものだった。その中でもやはり重要なのは、あだち充の担当編集者たちではないだろうか。あだち充の最初の教育者でありずっと面倒を見続けた武居俊樹から、『ナイン』最終回を担当した白井康介までの6人の編集者たちについて時系列で知ることで、ブレイクの理由がわかるのではないだろうか。

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▲『ナイン』

ヒット作の出ない漫画家・あだち充を支えた編集者たち

あだち充の初代担当編集者である武居俊樹については以前の連載でも触れているが、もう一度書いておこう。武居は赤塚不二夫番として有名な漫画編集者であり、著書に『赤塚不二夫のことを書いたのだ‼︎』(文春文庫、解説はあだち充の原作をやっていたやまさき十三)がある。あだち充の兄・あだち勉は「赤塚四天王」と呼ばれていて、公私ともに赤塚に可愛がられた人物だった。また、武居は赤塚から紹介された漫画家の石井いさみと意気投合し仲良くなっていく。その石井の元で、高校を出てから兄と同居をしながら漫画デビューを目指していたあだち充が、アシスタントをしていた。
「俺のところに長くいたら、俺の悪い癖がついちゃうから独立させたほうがいい。武居さんに任せる。絵は描ける。しかも、ちゃんと女を描けるから」と石井からあだちを紹介された武居は、あだち充の絵を見た瞬間に決めたことがあった。

「こいつだよ。こいつが『サンデー』のエースになる!」

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