宇野常寛『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』第四回 吉本隆明と母性の情報社会(3)【金曜日配信】
本誌編集長・宇野常寛による連載『汎イメージ論 中間のものたちと秩序なきピースのゆくえ』。前回に引き続き、
吉本隆明『共同幻想論』の思想とそこに加えられた批判から、 現在の情報化社会の陥ってしまった状況を整理します。 (初出:『小説トリッパー』 2018 春号 2018年 3/25 号 )
3 吉本隆明と戦後消費社会の「隘路」
吉本自身が『共同幻想論』における(国民国家的な)
たとえば、上野千鶴子は六〇年代の状況を加味して『共同幻想論』
上野は吉本の提示した三幻想の区分に高い評価を与え、その上で(
要するに、個人(自己幻想)はたとえば「この人のために生きる」
〈自己幻想とは、「それ以上分割できない」個人、
つまり身体という境位に同一化した意識の謂にほかならない。 しかし意識は、 身体のレベルをこえて同一化の対象を拡張することができる。 たとえば「妻子のため」に外で「七人の敵」と闘う男は、 家族に自己同一化している。「天皇陛下万歳」 と叫んで死ぬ兵士は、 自己同一化の対象をオクニのレベルにまで拡大している。(略) しかし対幻想は違う。他者は「わたくしのようなもの」 という類推を拒み、しかも「もうひとりの私」 として私と同じ資格を私に要求してくる。(略)対幻想の中では、 自己幻想は構造的な変容をとげている。 自己幻想から対幻想への過程は、したがって不可逆であり、 こうやって一度構造変容した自己幻想は、 共同幻想からのとりこみに強い抵抗力を示す。 それは共同幻想とはべつのものになっているからである。人は、 対幻想と共同幻想というべつべつの世界をふたつながら持つことが できる。だが人は、両者間を往復するだけであって、 ふたつを調和させているわけではない(3)〉
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