始まりは一人の熱狂から――メディア運営の逆境に強いのはマーケット志向よりも「自分志向」(粟飯原理咲『ライフスタイルメディアのつくりかた』第2回)
本日は、アイランド株式会社代表の粟飯原理咲さんによる連載『ライフスタイルメディアのつくりかた』の第2回をお届けします。
ネットの主婦層の熱烈な支持を集め、大きな成功を収めた「レシピブログ」。そのルーツには、粟飯原さんがOL時代に運営していた大人気メルマガがありました。いくつもの媒体を立ち上げた経験を元に、粟飯原流のメディア運営の秘訣について語ります。
この連載のタイトルは、「ライフスタイルメディアのつくりかた」というものですが、そこには私なりの想いがあります。メディアプロデューサーとして、前回お話ししたようなライフスタイルコンテンツを扱うメディアを運営する上で、失敗も多く繰り返したなかで、なんとか見つけてきたいろいろな知識や経験を伝えたいというものです。
なぜなら、いまの時代、誰もが「メディアプロデューサー」になる可能性があるからです。「レシピブログ」や「朝時間.jp」などのポータルサイトを手掛けるのもメディアの運営ですが、個人でブログやインスタグラムなどで伝えたい想いをもって情報を発信することだって、やはりメディアの運営だと思います。そして、ライフスタイルという領域では、この後者のメディアは、誰もがいつでも、自分の暮らしぶりを発信することによって始められるものです。
今回は、そんなライフスタイルメディアの「はじめかた」をお話ししてみたいと思います。その第一歩は、やはり、「メディアのテーマ・領域」をどう設定していくかにかかっているといえるでしょう。
ここからの話はポータルサイトのプロデューサー視点での事例になりますが、そこで必要になるものは個人メディアでも変わりません。というのも、一番最初に必要になるのは、ただ「熱量」にあると思うからです。
たとえ企業が運営するプラットフォーム型のメディアであっても、やはり「始まりはたった一人の熱狂から」――そう私は信じています。もちろん、それだけではビジネスとして成立しない部分もあるのですが、まずはそこから全てが始まる、と。
■ 自分のなかの「熱量」が、テーマの発見になる
ここからは前回に引き続き、レシピブログの事例から話してみたいと思います。今回の場合、その最初に熱狂した一人は、実はこの文章を書いている「私」でした。
――遡ること12年前の2004年、インターネットはブログ元年と呼ばれていました。
欧米で盛り上がっていたブログが日本に入ってきたのは、それより少し前のこと。すでにアルファブロガーと呼ばれていた初期の有名ブロガーの方々が、精力的にネット上でITの話題や政治、事件について自分の意見を発信していました。
私のほうはといえば当時、「おとりよせネット」というウェブサービスで起業した翌年という時期。まずは自分でも事業を行うサイトプロデューサーの視点で、その新しい動きにワクワクしていました。
ところが、FC2やエキサイト、あるいは前年に開始したばかりのAmebaのブログをよくよく読んでみると、少々事情が違うのです。当時話題になっていたアルファブロガーのような、ITビジネス系や論壇系とは少し違う人々が、自分たちの情報を発信しはじめていたのです。
特に印象的だったのは、女性ブロガーの人たちが、自分たちの目線から情報発信を始めていたことでした。たとえば、まだ慶応大学の学生だった頃の“はあちゅう”さんのブログは、始まってすぐに楽しみに読むようになりました。彼女のブログは当時から話題を呼んでいましたが、当時の彼女の意見やライフスタイルが学生らしい言葉でつづられていて、それがとても新鮮だったのです。
当時はどんどんいろんなジャンルのブログが生まれていて、それを私は「なんて面白いんだろう!」とミーハーに読んでいたのですが、とりわけ楽しみに読むようになったのが「料理ブログ」でした。
知らない誰かが家でどんな料理と暮らしをしているのかなんて、普通はなかなか知ることができない。ところが、それをたくさんの女性たちがこぞってブログに書き始めている。その事実に、当時はまずワクワクしました。もともと、家に何百冊もレシピ本があるくらいに料理本が好きだったこともあり、一読者としてとりこになってしまったのです。
また、前回にも書いたように当時から料理ブログは、レシピと一緒に暮らしが綴られたライフスタイル発信型のものでした。それもまた料理本をエッセイ集のように日々読んでいた私にとっては、最初からしっくりとくるものでした。
そうして当時、夜な夜なパソコンに向かって、新しい料理ブログを見つけては「わー、このブログ、素敵!」などと興奮しながら、自分のパソコンのブックマークに次々に登録していく日々を送っていたのです。そして、それぞれのブログのコメント欄を見ては、自分と同じ立場の読者であろう人々が、同じ熱量を持って、お料理ブログのファンになっていることを実感していました。
■ ひとりひとり、共感する仲間を増やす
ところが、どんどんブックマークを登録するにつれて、どうにも不便だなと感じることが増えていきました。好きなブログが更新されているかは、実際にURLに飛んでいって確かめるしかない。これは結構不便です。また、いろんなブログポータルを私は巡回していましたが、いちいち新しい料理ブログを新着から探す作業も、やはり一定以上の数が増えてしまうと、なかなか大変です。
「もし更新された料理ブログだけが簡単にチェックできるようになれば、きっと楽になるんじゃないか」
「各ブログポータルのブログが一箇所にまとまっていれば、そっちのほうがきっと便利なんじゃないか」
「いや、それってブログのRSS機能を使えば実装できるんじゃないか……」
そんなことを考えているうちに、私の中でむくむくと料理ブログが集まるサイトを作れないか――というアイデアが形を取り始めたのでした。
そこで、さっそく私は社内で、その「料理ブログが集まってくるRSSポータルサイト」の構想を語ってみることにしました。ところが……社内の声は「ぜんぜんピンと来ない」というものでした。
「ブログそのものが伸びるかわからない」
「料理ブログなのにライフスタイル?」
「はじめたばかりのおとりよせネットに集中したほうが良いのでは」
そんな反応で、なかなか熱は伝わりません。いまとなっては遠い出来事ですが、当時の認識はそんな感じでした。しかし、めげませんでした。その後も半年くらい、ことあるごとに「こんな素敵な料理ブログがあって……」と興味なさげなメンバーに、しつこくプチプレゼンを繰り返して、とにかく自分の熱意をぶつけることだけは続けていました。
すると、その中に一人、私の考えるコンセプトに共感してくれるメンバーが出てきたのです。
彼女は、アルバイトからの第一号社員になった女性でした。元々、雑誌が大好きで学生時代には編集プロダクションでアルバイトもしていたという彼女は、「レシピサイトをやりたいんじゃなくて、料理を核にした生活のメディアをやりたい!」という私の訴えに、すぐにピンときたようでした。
この彼女こそが、初代レシピブログの編集長にして、その後のサービスの拡大で大きな役割を果たしてくれた川杉弘恵さんです。
そして、ついに創業時からのアドバイザーで現副社長・長谷川も、「そんなにいいと思うなら、やってみればいいんじゃない」と言いはじめたのです。長谷川は始めはいつも冷静ですが、いざ納得すればとても頼りになる人間です。そんな二人に背中を押されて、とても心強く思いました。
新しいメディアを創るとしばしば体験することですが、熱狂するテーマを自分のなかに見つけたとしても、それが目新しいほど周囲の理解はすぐに得られないものです。
でも、それは客観的に見れば、当たり前のことだと思います。そんなとき、メディアプロデューサーとして大事なのは、「全員を一度に説得しようと思わない」ことです。それよりも、「すぐに理解を得られないテーマのほうが伸びしろがある」くらいに思って、ひとり一人口説いて共感する仲間を増やしていくのです。そうすると、あるとき、離ればなれの“点”だったメンバーの気持ちが、まとまりあって“面”になって「そうだね、やってみようか」となるものです。しかも、駄目だしをされて試行錯誤していくなかで、企画そのものが熱や厚みを帯びていくこともしばしばで、振り返ればそれがメディアの精度を増していたとも思います。
ちなみに、メディアそのものの発展も、これに似たところがあります。ひとり一人地道に読者を獲得していくと、あるとき急に「コミュニティ」として繋がりをもって伸びていくステップが訪れることがしばしばあるのです。
■ なぜレシピブログのロゴは暖色ではないのか
とにもかくにも、社内で仲間を得ることができ、さっそく共感してくれた社員第一号の彼女とブレストを始めると、素敵なライフスタイルのお料理ブロガーさんを集める方法について、いろいろなアイディアが飛び出してきました。
「料理ブログはレシピのブログではなくて、あくまでもライフスタイルのメディアなのだ」という意識は、この時点で二人の間にハッキリとあるものでした。彼女とのブレストの中から生まれた、「暮らしの中にレシピがある レシピの中に暮らしがある」というサイトのグランドコピーは、それを象徴するものです。
そして同時に、私たちはほとんど迷わずに、サイトのメインカテゴリを「中華」や「じゃがいも」などのジャンルや素材で切り分けずに、「海外在住」や「子育て」「ひとり暮らし」などのライフスタイル軸で分類することに決めました。これは料理サイトという観点から見ればわかりづらいカテゴリ分けだと思いますが、ニッチになったとしてもユニークなサービスを創りたい、便利さではなく「共感」を軸にサービスを創りたいという当時の意思を込めたものです。
また、ロゴの選定にも私たちの意識は大きく現れました。レシピブログのロゴは、オープン当初は黒、その後は紫や青など、料理を扱うサービスとしては“おきて破り”とも言える「寒色系」の色を用いたものにしています。でも、かなり強い意志を持って、このロゴを「暖色系」にしたくないと考えていました。このサイトは、料理のサイトではなくて、暮らしを発信するサイトです。だから、より雰囲気が出る、落ちついたトーンの色使いを意識したほうがいいのです。
また、最初こそ黒の一色でしたが、オープン後には一文字一文字で色を変えるように変更もしました。料理ブロガーさんの多様なライフスタイルを応援していくサイトなんだ、というメッセージを打ち出したかったからです。
そうしてサイトをリリースするにあたって、自分たちが読んできた料理ブログから素敵だと思う大好きなブロガーさんたち一人ひとりに、手作業でラブレターのようなメールを送ることにしました。決して一斉送信などはせず、ブログの感想を一つ一つ添えて、もしよければサイトに登録してくれないかと一通一通、心をこめて送りました。すると、サイト公開までに200人ほどのブロガーさんが手を挙げてくださったのです。
こんなふうにカテゴリ分けにしても、ロゴにしても、普通の料理サイトではやらないような設計をしたのは、やはり中心にいた人たちがメディアとして目指したい軸をはっきりと決めていたからだと思います。ここで私たちが考えた工夫については、次回にもう一度、メディアプラットフォームのオリジナリティの作り方における「メディアのオリジナリティ掛け合わせ方」の問題として、考えていきたいと思います。
■ ユーザーからの好反応と、料理業界との壁
サービスがオープンすると、すぐに「自分もこんなサイトを待っていた」「こんなサービスに参加できることが嬉しい」と、書き手の料理ブロガーの方からも読者の方からも、驚くほど大きな手ごたえの反響が返ってきました。自分たちがユーザーとして「熱狂」していたことが、サイトの利用者であるユーザーさんたちにも伝わっていたのです。
ただ、ちょっと意外なこともありました。たとえば、当初の私の目論見では、ライフスタイルのカテゴリごとに、「子育て」をしているお母さん同士、「学生」の女の子同士などが、互いにマッチングしあって交流する予定だったのです。
ところが、実際にはそんなふうに同じ属性のユーザー同士だけが固まっていくことはありませんでした。むしろ海外に住んでいない人が、海外に住んでいる人のライフスタイルに憧れを抱いたり、お弁当を彼女のためにつくる男の子に、主婦の人たちが「素敵!」となったり……というように違う軸の人たちも互いに刺激しあうようになったのでした。
もちろん、そうやって互いに違う立場の人が交流しあう方が熱量は上がっていくので、これは嬉しい誤算だったといえます。
また、ユーザーさんのモチベーションを高めるためにランキングを導入したのですが、これも上手く機能してくれて、カリスマ的なブロガーさんたちが登場してくるようになりました。それは私たちにとって、大きな転機でした。
当時すでに他ジャンルのブログでは、ぽつぽつとサービスのランキング上位にいるような人気ブロガーさんたちが本を出版する流れが始まっていました。しかし、そういう流れは料理ブログにも多少はきていたものの、まだまだでした。
そこで私たちは出版社を回って、まずは料理雑誌で特集をしていただけないかなど、お料理ブロガーさんたちの営業をしていくことに決めました。
しかし、最初の頃は本当に大変でした。「けんもほろろ」ということも決して少なくありません。有名なお料理雑誌の編集部に営業に行ったときに、「素人さんの料理は安心して誌面に載せられない」と言われたこともありました。
それでも、私たちは諦めずに、何度も何度も出版社に通いつめました。そして自分たちのサイトに登録してくれたブロガーさんたちの紹介をして、取り上げてくれないかとお願いを続けたのです。
そんな壁を突き崩すきっかけになったのは、だんだんと、編集者の方々自身が、お料理ブログを読んでみることで「面白いかも」「お料理も斬新でヒントがある」と、その価値に気付いてくださったことでした。これも熱量の伝染だったのでしょうか。そうして、ついにレシピブログ監修の書籍第一弾を2007年にアスキーから出版できることになったのでした。
■ ルーツは、大人気メルマガを運営したOL時代
当時は、料理ブログの知名度や地位の低さに対して、私たち編集部がしっかりと売り込みをかけなければいけないと、単なるサービスの営業を超えた強い使命感を覚えていたと思います。
でも、なぜそんなふうに肩に力を入れて、頑張っていたのでしょうか。それはきっと私自身のインターネットとの関わりと、大きく関係していたように思います。
私が新卒で入社したのは、NTTコミュニケーションズというインターネットを扱う企業です。
そこで私が最初に配属されたのは、消費者向けのオンラインECサービス設計を行う部署でした。ところが、当時のサービス開発というのは、かなり技術オリエンテッドな部分があり、なかなかUIが使いづらいことが多かったのです。とはいえ、たかだか新卒のOLが上司にそれを言うのはなかなか勇気が要るものです。そもそも、当時の私はそれ以前に、技術的にはまったく会社で役立つことができていなかったのです。私は悶々としながら、どうしたらいいものかと考えて毎日を過ごしていました。
そんなある日、とある研究会で出会った方から、「ネット上に“消費者の口コミのコミュニティ”を作って、その声を拾い上げる形で意見を伝えてみてはどうか」とアドバイスされる機会がありました。
会社の支援もあり、さっそく私は非営利で「LIFE」という消費者のメーリングリストを立ち上げました。始めてみると、実にいろいろな意見が聞こえてきます。生活者の視点から、これからのECサイトやネットビジネスのあり方を考える議論も活発に行われました。当時言われていた「女性はネットショッピングなんてしない」という意見への反論もあれば、「ショップオーナーはどういうメールを書けばよいか」のような実用的な話まで、実にいろんな情報が飛び交うのです。その意見を会社に伝えると、自分が意見をただ表明するだけでは聞いてくれなかったであろう人たちも、確かに「なるほど」と納得するのです。
しかも、このLIFEはどんどんメンバー数が増えていき、議論もどんどん活発になっていきました。それはまるで日本のECビジネス黎明期に、業界が生まれていく流れの一端を担っているような、不思議な体験でした。ECサイトで靴を売るときに「片方の靴だけしか表示しないのはよくない」という、いまとなっては当たり前に行われている話が出てきたり、そういう様々な議論に対して楽天の三木谷浩史さんが「LIFEは参考になる」と発言してくださったりして、ついには新卒1年目の終わりに東洋経済新報社から『成功するオンラインショップ―女性ネットワーカー1300人が本音で提言』なる本を出版するという、畏れ多いほどの経験まですることになりました。
▲『成功するオンラインショップ―女性ネットワーカー1300人が本音で提言』
それは同時に、私がいかに生活者のクチコミが強い力を持つのかを実感した瞬間でもありました。
さらに、そんなふうにOL生活を送っていた4年目、私は今度は当時の同僚たちと一緒に、「OL美食特捜隊」というメールマガジンを始めました。
これは5人の同僚と代わりばんこに毎週美味しいお店をレポートするというメルマガです。いわば今度は、自分たちが普通のOLとして、クチコミ情報を世の中に届けるものだった……と言えるかもしれませんが、実際にはそんなに大上段に構えたものではなくて、ほんの好奇心から始めたくらいのものでした。
ところが、当時はメルマガブームの最盛期、メールマガジンというメディアそのものに注目が集まり、ビジネスのコツや英会話を解説した人気のメルマガがどんどん書籍化されていく時代でした。そんな中で、私たちのメルマガは英語学習やビジネス系などの実用的な話題があるわけでもなく、ただただ普通のOLが普通に食事レポートをするというだけだったことが、逆に話題になってしまったのです。
会員はみるみる増えていき、最盛期にはついには3万人を突破。雑誌の取材、書籍化、さらにはテレビ番組のような話までどんどん入ってくるようになったのです。
■ ”発信すればするほど豊かになる”という実体験
このメルマガはその後、9年という長い期間にわたって続くことになりました。
そこから私たちはとても大きなものを得ました。もちろん、普通のOLが芸能人のようにテレビ番組に出られたりするミーハーな“役得”もあったのですが、得たものはそれだけではありません。
その一つが、メルマガ読者の人たちとの、現在まで続く深い交流です。
当時、メルマガを毎週発信しているというと、「モチベーションは続きますか」「ネタ切れになりませんか」と聞かれることがありましたが、実はちっともそんなことはありませんでした。なぜならメルマガで情報を発信すればするほど、読者の人がどんどん感想をくれたり、「きっとあなたはこういうお店が好きだと思う」などと美味しいお店の情報を送ってくれたりしたからです。読者の人に励ましてもらえるだけでなく、なぜかネタの提供までしていただけるというのは不思議ですが、インターネットにはそういう面があるのです。
さらには会社でも、普段は話せる機会さえないような年長の人が席にやってきて、急におすすめのレストランを教えてくれることも起き始めました。情報を発信すれば発信するほど、日々の生活は豊かになっていく――私はそのことに気づきました。
そして、ついにこのメルマガは私の仕事における大きな転機になりました。