三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第四章 人工知能が人間を理解する(1)【不定期配信】 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2018.01.09
  • 三宅陽一郎

三宅陽一郎 オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき 第四章 人工知能が人間を理解する(1)【不定期配信】

ゲームAIの開発者である三宅陽一郎さんが、日本的想像力に基づいた新しい人工知能のあり方を論じる『オートマトン・フィロソフィア――人工知能が「生命」になるとき』。人間と人工知能は理解し合えるのか。西洋と東洋のAI観を比較しながら、人間と人工知能がそれぞれに抱える虚無の深淵と、その差異について考察します。

(1)人工知能が人間を理解する

長年、と言っても、十五年程ですが、人工知能を研究していると、最もよく聞かれる質問があります。「人間にとって人工知能とは何か?」「人工知能は人間に比べてどこまでできるか?」という質問です。そういう質問はとても嬉しく、人工知能の冬の時代を経験した人間にとっては、もう興味を持って頂けるだけで充分な気がします。しかし、この質問と同じぐらい大切なもう一つの問があります。それは「人工知能にとって人間とは何か?」「人間は人工知能と比べてどこまでできるか?」という問です。人工知能という分野では、人間側にも人工知能側にも偏って見てもいいですが、常に二つの視点から見ないと本質を見失うことになります。人間と人工知能を双対(duality)に見ることが必要です。双方の視点を持ってこそ、人間と人工知能の関係が見えて来ます。

深淵を見るものは、また深淵に見入られる、とニーチェは言いました。この場合、深淵とは人間の知能のことです。人間の知能はとても奥深い深淵です。人工知能の研究は人間を規範にしながら作ることが多くあります。「人工知能」という言葉の発祥と位置付けられる「ダートマス会議」(1956年)の開催においても、「人間が使う言葉や概念、思考が機械にできるようにすること」が主旨として挙げられています。人工知能の研究は、一方で人間という知能の深淵を見ながら、そのわずかな一部を機械の方に移す、という地道な作業を行って来たわけです。ですから、人工知能にとって人間というのは、深く、未知の、ミステリアスな存在なのです。人間ができることの多くを、人工知能は行うことができません。この世界で自然に生まれた自然知能たる人間は、この世界の中でさまざまなことができるように生成・適応・進化してきました。ところが、人工知能は、組み上げられた存在です。極論を言うと、たとえば、他の惑星や人工衛星の中でも組み上げられることができます。つまり地上と最初から馴染んでいる存在ではないのです。我々のように地球産の知能ではない。むしろ、それは自然とは対極から出発します。そこからこの世界になじむように学習が始まるのです。

人工知能の目標は二つあります。

「高度な人工知能を作ること」

そして

「人工知能に人間を理解させること」

です。人工知能が人間を理解するとは、どういうことか、それは哲学的な問であると同時に、サイエンスの問題でもあります。

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