宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2022.07.25
  • 中野慧

スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”(前編)|中野慧

ライター・編集者の中野慧さんによる連載『文化系のための野球入門』の‌‌‌第‌23回「スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”」(前編)をお届けします。
1905年に初のアメリカ遠征をおこなった早稲田野球部。彼らが持ち込んだ技術やファッション性が、その後の国内野球文化にどのような影響を与えたのか考察します。

中野慧 文化系のための野球入門
第23回 スポーツを経験するとスポーツマンシップが低下する? 指導者・安部磯雄の野球への“関わり方”(前編)

北米西海岸の日本人移民──戦前日本の空間的広がり

前回は早稲田のアメリカ遠征について取り上げた。この遠征は従来の野球史の本では「日本野球史に燦然と輝く偉業」と仰々しく讃えられており、実際にこの遠征がきっかけとなって日本の野球文化が大きく動いたからだろう。
だが現実には、当時の早稲田野球部は草野球チーム程度の規模でしかなかった。一介の草野球サークルが、日露戦争に際して国内で同調圧力が強まるなかでアメリカ野球旅行という暢気なイベントを(採算すら取れずに)敢行した「破天荒さ」こそが画期的だったといえる。
安部磯雄はこの遠征の間、早稲田の学生たちにアメリカの野球や近代的な生活を体験させるだけでなく、アメリカ西海岸各都市を視察し講演活動を積極的に行った。このとき早稲田チームの連戦と安部の言論活動を支えたのが、アメリカ西海岸の留学生・労働者などの日本人コミュニティである。この人々の存在は、当時の日本社会を知る上で大事な要素でもあるので触れておきたい。安部は帰国直後、その移民コミュニティの様子を『北米の新日本』(博文館、1905年)という著書にまとめている。
北米移民の歴史は、明治維新直後から始まっている。江戸期までに確立されていた農村社会は明治初期の地租改正をきっかけに崩壊しはじめ、明治政府は農村部の生産力では賄えなくなった余剰人口を「輸出」する必要性に駆られていた。そのため1880年代以降、政府主導でハワイ、グアム、フィリピン、そして北米、やがて南米への移民が奨励されるようになっていた。
早稲田チームがアメリカ遠征を行った1905年当時、北米移民の数はすでに6万人にも達していたという。安部はもともと日本国内の貧困や格差是正に強い関心を寄せており、1901年に日本初の社会主義政党「社会民主党」を結成したが、すぐに政府から結社禁止処分を受けた。大っぴらに社会主義運動を行うことが難しくなってしまったため、それ以降の彼は言論活動の重心を男女同権と貧困問題解決へと移していく。安部は当時の知識人としては珍しく徹底した男女同権主義者であり、雑誌「婦人之友」などで女性の社会進出を強力にバックアップする言論を展開するとともに、廃娼運動にも取り組んでいた。
廃娼運動というのは、女性の人権擁護の立場から公娼制度を廃止しようとする社会運動のことである[1]。この時代、貧困家庭の女子が「出稼ぎ」または「身売り」の両側面を併せ持って日本の都市部や海外の娼館で働くということが広く行われていたのだ。特に海外に進出していく日本人娼婦は〈からゆきさん〉と呼ばれた。〈からゆきさん〉というのは「唐行きさん」、つまり唐=中国へと渡っていく女性たちのことであったが、転じて中国だけでなく世界各地へと出稼ぎ/または身売りされていく女性たちの一団をこう呼ぶようになった。
〈からゆきさん〉たちが海外進出に積極的であった(それがどの程度、本人たちの意思であったかはかなりケースバイケースのようである)一方、貧困に苦しんでいるわけではない一般家庭は女子の移民に強い抵抗感を持っていた。男子で海外移住する者の場合、農林業や建設業などの肉体労働に従事したが、女子に関してはそういった「正業」への進出があまり進んでいなかった。日本人移民の労働市場には、ジェンダー非対称な状況が成立してしまっていたのである。
安部はこういったアンフェアな状況に危機感を持っていた。そこで『北米の新日本』では、最初は下男下女の仕事をして貯金をし、農地を購入して自ら事業を興していった人々が存在することをレポートし、「正業」での移民のすすめを説いていたわけである。

北米では19世紀半ば〜後半にかけてゴールドラッシュが起こり、この時期に中国から大量の移民が流入した。彼らは低賃金で勤勉に働いたため、白人たちの間で「職を奪われるのではないか」という危機感が高まり、アメリカでは中国人移民は1882年の「中国人排斥法」で厳しく制限された。
一方で1900年代の段階で日本人移民はそれほど厳しく制限されていなかったが、1905年の早稲田野球部のアメリカ遠征当時、すでに北米で日本人移民差別・排斥運動が過熱していた。この時期は欧米世界で「黄禍論」が盛り上がりを見せていた時代でもある。日本から北米への移民希望者は非常に多かったものの、日本人移民への差別や排斥運動が苛烈さを増しつつあり、後の1924年にアメリカでは「排日移民法」が制定され、日本からアメリカへの移民は厳しく制限された。日本人移民は差別や規制の苛烈なアメリカではなく、カナダへと流入していくこととなった。
2014年公開の映画『バンクーバーの朝日』では、北米西海岸カナダのバンクーバーで形成された日本人街の日系人野球チーム「バンクーバー朝日」の活躍が描かれている。

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▲『バンクーバーの朝日』(監督)石井裕也(出演)妻夫木聡、亀梨和也、勝地涼、佐藤浩市ほか。2014年。(出典

バンクーバー朝日は堅守やバント、ヒットエンドランなどを活用する「Brain Ball(頭脳野球)」で次第に強くなり、カナダのリーグで優勝するなど活躍し、日系人チームに差別的な審判やラフプレーを繰り返す白人チームに対してもフェアな態度を徹底したことでアジア系だけでなく白人からも応援される人気チームとなり、差別や貧困と戦っていた日系人たちの希望の光となった。バンクーバー朝日はカナダの移民社会と野球文化への功績が認められ、2003年にカナダ野球殿堂入りを果たしている。

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