宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2016.03.11
  • 宇野常寛

アニメーションは日本の戦後をどう描いたか──「理想」と「虚構」の時代の終焉と、ロボットアニメが描いたもの・後編(宇野常寛の対話と講義録)

今朝の「宇野常寛の対話と講義録」では、昨年大学で行われた宇野常寛の講義の内容をお送りします。戦後日本が抱えた「大人になれない少年」というトラウマが、機械の身体によって「父の力」を代行するロボットアニメを誕生させます。『ガンダム』『エヴァ』――そして虚構の敗北が明らかになる1995年からインターネットの時代までを論じます。


 

■特撮ドラマが描いたもの

「アトムの命題」と大塚英志が呼んだものは、普通には成長できない、大人になることができない日本人の子供たちがどう成熟していくのか、という問題だと言い換えることができます。同時に、この「アトムの命題」の歴史的な背景を説明すると、原作者の手塚治虫は現在の漫画文化の創始者であると同時に、最初にテレビアニメを作り始めた人でもあります。もちろん漫画は戦前からあるのですが、今のような形式でのコマ割りのストーリー漫画を作ったのは手塚治虫だと言われています。コマごとに色々なシーンが連続し移り変わっていく。これは映画のフィルムのコマに酷似しています。言わば、ハリウッド映画を紙に置き換えたものとして、手塚治虫はコマ割りのストーリー漫画を作っていったのです。
同じように手塚治虫は、ディズニーの劣化コピーとしての国産アニメーションスタジオ「虫プロ」を作りました。つまり日本の漫画やアニメというのは、手塚治虫がハリウッド映画を紙に置き換える、あるいはテレビ向けのリミテッド・アニメーションに置き換えることで生まれていったという歴史があります。しかし、精神的、経済的、技術的な理由からアメリカのものをそのまま輸入することができず、日本の実情に合った形にしなければなりませんでした。そのため少なからず表現の制約や設定の変化が発生し、ストーリーも独特の傾向を帯びるようになっていくわけです。これが日本のアニメーションの基本的な性格のひとつになっていきます。

これは余談ですが、手塚治虫がアニメを作り始めた頃にテレビシーンにおいて仮想敵となったもののひとつが特撮です。テレビは1960年代に一般家庭に普及していくのですが、それ以前の1950年代から60年代前半は映画が大衆娯楽の中心でした。その中で日本独特のジャンルとして、怪獣映画がありました。その中心として活躍する円谷プロを作った円谷英二は、戦中までは戦意高揚映画を作っていて、日本軍の宣伝のための作品を数多く手掛けていました。そこで様々な特撮技術を確立し、後に『ゴジラ』や『ウルトラマン』を作っていきます。彼の特撮技術は本当にすごくて、戦後にアメリカからやってきた進駐軍が、円谷英二がミニチュアで作ったハワイ・マレー沖海戦の映像を観て、「戦闘中にこんな映像を撮っていたのか」「日本軍はどんなすごい高性能カメラを持っているんだ」とびっくりしたという逸話すらあります。
円谷英二は職人肌の技術屋という側面が強い人ですが、そういった経緯もあり戦後に公職追放されてしまいます。その後、映画業界に戻ってきて最初に作ったのが『ゴジラ』です。そして独立してTBSと組んで作ったのが『ウルトラマン』です。つまり特撮という技術は戦争が生んだものなのです。
その結果、ストーリーも戦争から大きな影響を受けています。その一例として、初代『ゴジラ』はアメリカの核実験で遠洋漁業の漁船が被ばくし乗組員が死亡した第五福竜丸事件から着想を得ています。南太平洋でアメリカが水爆実験を行った結果、古代生物が凶暴化して日本を襲うというのが『ゴジラ』の物語です。『ウルトラマン』になるとそれがもっと露骨になっていて、およそ怪獣のイメージソースは東側諸国です。対する科学特捜隊やウルトラ警備隊のベースは自衛隊です。自衛隊は怪獣=ソ連や中国の攻撃に対して何とか抵抗するのですが結局倒せずに、最終的にはウルトラマン=在日米軍が出てきて解決するというのが『ウルトラマン』です。『ウルトラマン』では最終回付近になると、地球人類=日本人は自分たちの手で自身を守れるのか、というテーマが展開しています。

■『宇宙戦艦ヤマト』が乗り越えようとしたトラウマ

ここで大事なのは、手塚治虫の漫画やアニメにせよ、円谷英二の特撮にせよ、当時の子供番組には一種の治外法権が働いていたということです。一般的に子供向けコンテンツには残酷描写ができないなどの制約が多いように思えますが、逆に言えば「怪獣さえ出ていれば何をやってもいい」というような自由さもあったのです。
戦後まもない時期に戦争映画を作るとなると、敗戦を受け入れられない右翼的な人々を癒すような「日本軍最高!」な作品か、反対に戦後民主主義の精神に則った「戦争は悪、日本軍は極悪」みたいなものかの、どちらかになってしまっていました。しかし、戦争や暴力とは、もっと複雑なものです。たいへん恐ろしいものではありますが、同時に人を憧れさせるものでもあります。大量破壊という行為も恐怖そのものですが、人間には心のどこかに世界の破滅を願う気持ちもあったりします。そういった複雑な感情を描くことが許されたのは、サブカルチャーである漫画やアニメや特撮だけ、そういう風潮が戦後に生まれたのです。その後、特撮の時代は70年代前半で終わりを迎え、70年代後半からはアニメが子供の娯楽の王様になっていきます。結果、アニメだけが戦争を描くようになっていきます。
もちろんさっき言ったように、右翼や左翼のヒーリングものの作品はたくさんありました。それらはアジテーションと一緒で、戦争を描くことにはなっていないと僕は思います。アニメだけが自由に戦争の本質を描くことが許されていたのです。

例えば、『宇宙戦艦ヤマト』。僕はこの作品をそんなに評価してはいませんが、内容的にはわかりやすく第二次世界大戦の日本を連合国側に配置してやり直したものだと言えます。物語を説明すると、ガミラスという宇宙人の侵略者が地球に核兵器みたいなものをどんどん撃ち込んで、地上が放射能まみれになってしまう。それに対して地球人は危機感を感じて、なんと第二次世界大戦で沖縄で沈没した戦艦大和を宇宙戦艦に改造して敵を倒しに行くのです。対する敵のガミラスは、服装や言動が明らかにナチスをモデルにしています。大変ナショナリスティックな話です。
実際の第二次世界大戦では、日本はナチス側について負けています。戦後の日本人は、そのことがずっとトラウマになっていて、『宇宙戦艦ヤマト』では日本を連合国側に配置して、ドイツと戦う話を描くことでトラウマを克服しようとしています。
この『宇宙戦艦ヤマト』が大ヒットすることで、最初のアニメブームが起こります。それまでアニメは、一部の本当にマニアックな人を除けば子供が観る番組だと思われていて、一定の年齢を迎えたら卒業するものでした。ところがこの『ヤマト』あたりから、だんだんティーンエイジャー向けのもの、若者向けの表現としてアニメが成熟し初めて、ファンコミュニティが盛り上がっていきます。その原動力になったのは、やはり『宇宙戦艦ヤマト』の大ヒットです。
続いて、その『ヤマト』を上書きするように大ヒットした作品が『機動戦士ガンダム』です。

■司馬遼太郎、村上春樹──そして『ガンダム』の時代

『機動戦士ガンダム』は、この授業でも大きく扱っていこうと思いますが、この作品では非常に詳細な架空年表が設定されていて、それに沿って様々な物語が作られます。この年表はアニメでは描かれていない部分まで作り込まれていて、宇宙世紀何年にどんな事件があって、こんなことが起こったということが決まっています。もちろんこの年表は最初からあったわけではなく、『機動戦士ガンダム』がヒットして続編が作られていく過程でどんどん補強されていったものです。いろいろな人が『ガンダム』の続編を作っていくことで、やがて年表は膨大なデータベースになっていきます。これが非常に面白い現象を生んでいます。
司馬遼太郎という歴史小説家がいますが、彼は戦後のある時期までの日本人向けの国民文学の担い手でした。彼がやったことのひとつが、「明治は素晴らしかった」「大正も素晴らしかった」「あんな短期間で近代化し、日本を植民地支配から救った素晴らしい時代だった」「しかし昭和はダメだ。調子にのって侵略戦争を起こして負けた最悪の時代だった」――本当はそんなに単純ではないのですが、そういう物語を作ることによって戦争に負けた日本人を癒したのです。

ところが70年代後半になると、実際の歴史と個人の癒しが直接的に結びつかなくなってきます。その代表が、60年代末から70年代はじめにかけての学生運動の失敗です。60年代末という時期は、世界的に学生の反乱が盛り上がった時期です。フランスの五月革命、アメリカのベトナム反戦運動、日本の全共闘などがその代表です。世界中の先進国で若者が資本主義に反対して様々な反対運動を起こしましたが、ことごとく失敗に終わります。理由は、一部の「自分探し」に夢中な学生ががんばっているだけで、ほとんどの人間は資本主義のもとで豊かな生活をする方がいいし、現実に世の中は順調で特に問題がないと考えていたからです。特に日本の場合は、左翼の学生たちが作った連合赤軍という団体が仲間割れの結果、身内をリンチで次々と殺害した「あさま山荘事件」を起こし、左翼は決定的に人々の信頼を失います。これによって、若者が自分の人生の意味を、歴史や社会の変革に見出すことが決定的にカッコ悪いことになってしまいました。若者は、まずはかっこいいかどうかを考えがちですから。
「激動の歴史」や「大きな流れの中の個人」といったテーマに関心のある人間が、どんどんファンタジーに引き寄せられていったのがこの時期です。村上春樹もその一人です。彼は全共闘が失敗した後に、デレク・ハートフィールドという架空の作家をでっちあげて、架空の年表を作って、その架空年表に従って架空の語り手「僕」やその友人の鼠の物語を時系列に沿って作るということを、デビュー作『風の歌を聴け』の頃にやっていました。
彼以外にもこの時期にいろんな作家が同じことをやっていて、その中でも一番成功したのが『ガンダム』です。歴史の虚構化ですね。だから団塊世代が「俺も明治維新の頃に生まれていたら竜馬になれていたのに」というのと同じように、今の40歳ぐらいのファーストガンダムの世代の人々は、「俺も宇宙世紀に生まれていたらシャアのようになれたのに」ということを冗談半分で言うわけです。
同じように当時は冷戦下だったので、いつかアメリカとソ連が核兵器を撃ち合って世界が消滅するとよく言われていました。その最終戦争後の未来を描いていたのが、『風の谷のナウシカ』や『AKIRA』です。

■「理想の時代」と「虚構の時代」

ここまでの話で言えるのは、日本の戦後アニメーションは「人は大人にならずに生きていけるのか」という命題を問い続けてきたということです。戦後、GHQのダグラス・マッカーサーは、「日本人は12歳の少年のようなものだ」と語りました。「日本とは成熟していない少年で、自分たちで民主主義を作ったことがないという点で、非常に未熟なのだ。だから自分たちのやったことに責任も取れない。だから日本を独立させないし、そんな国には軍事力を与えない」というのが、当時のアメリカの考えでした。
戦後アニメーションはそんな戦後民主主義の世界の中で、「人は大人にならずに生きていけるのか」「自分で強い力を持って、そのことに責任を取る大人にならずに生きていけるのか」を問い続けました。そしてもう一つ、「人は歴史から切り離されて生きていけるのか」「マルクス主義が敗北した後にどうやって個人と世界を結び付けていったらいいのか」、を問いました。そこで、とりあえず日本のアニメが出した答えは、「虚構の歴史の中で生きる」ということでした。このふたつが戦後アニメーションの大きなテーマになっていきました。

ここに社会学の議論を加えてみましょう。見田宗介と大沢真幸という社会学者の師弟は、戦後社会を「理想の時代」と「虚構の時代」に区分しています。
人は「◯◯と現実」という言い方をしますが、彼らは、「現実」の対義語として◯◯に何が入るかによって時代ごとの違いが生まれると考えました。この視点で戦後から70年代までの時代を見ると、当時の「現実」の対義語は「理想」だと言っています。つまり、「アメリカが日本に与えてくれた戦後民主主義という理想を現実にすれば、今の辛い現実を越えられる」、あるいは「ソビエトのような社会主義のパラダイスを作れば、今の厳しい現実を越えられる」と多くの人が信じていた、「理想と現実」の時代だと言っているのです。もちろん現実にはそんなことはありえませんでした。実はソ連は収容所社会でしたし、アメリカの民主主義もベトナム戦争が象徴するように覇権主義的なものでした。これらはどちらも70年代に破綻してしまいます。
ではその後、どういう時代になったかと言うと、今度は「虚構」の時代へと移り変わっていきます。世界を変えるのではなく自分の内面を変える。自意識を変革することによって世の中の見方を変えようという時代に突入します。アメリカの西海岸ではヒッピーカルチャーが勃興します。人々はドラッグをやったり、自然保護運動やエコ思想、カルト宗教に走ったりして、自分の内面に新たな文脈を投入して世界の見え方を変えようとしたのです。
同時期、日本ではサブカルチャーが力を持ち始めました。70年代のアングラカルチャーや漫画やアニメのような虚構が、個人の内面に注入されることによって世界の見方を変える原動力になりました。
そして現代は一体何の時代なのか、ということが今問われているわけです。

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