宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.12.10
  • 根津孝太

そして小さいクルマは立派になった 〜黎明期国産軽自動車のトライ&エラーとその帰結〜(『カーデザインの20世紀』第5回)

この連載は『カーデザインは未来を描く』として書籍化されています!

今朝のメルマガでお届けするのは、デザイナー・根津孝太さんの連載『カーデザインの20世紀』最新回です。今回からは「国産軽自動車」を過去編・未来編の2回にわたって取り上げます。「ガラ軽」とも言われる特異な進化を遂げた軽自動車が進化の過程で失ってしまったものとは? 過去編では、軽自動車の元祖である「フライングフェザー」「フジキャビン」「スバル360」という3つの車の「原初の思想」について考えます。


◎構成:池田明季哉

「今の日本の自動車の主流ってなに?」と聞かれたら、どう答えるべきでしょうか。
1960〜70年代の高度成長期であれば、トヨタが1966年に発売した「カローラ」はまさに日本のクルマの代名詞ともいうべき存在感を持っていました。2010年代の現在、高度成長期の「カローラ」と似た立ち位置にあるのは、同じくトヨタの「プリウス」や「アクア」、そしてホンダの「フィット」といったハイブリッド車だと言う人もいるでしょう。この3車種は現在、新車販売台数の上位に常にランクインしています。

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▲トヨタ・アクア。発売以来、街で見かけない日はないほどの大ヒットとなった。(出典)

一方で、今の日本のもうひとつの主流として「軽自動車」が大活躍しているのも、誰もが納得することではないかと思います。たとえば2015年上半期の新車販売台数ランキングを見ると、上位10車種のうち、1位は前述した「アクア」で、他にも「プリウス」「フィット」といったハイブリッド車がランクインしているなかで、残りの7車種はすべて軽自動車です。

(参考リンク)2015年上期の新車販売ランキング、上位10車種の7車種が軽自動車 – 日経トレンディネット 

日本の軽自動車は低燃費で高性能、サイズの小ささから小回りも利きますし、最近では「スペース系」という名前が定着するほど、居住性に優れ乗り心地も快適です。スズキの「ワゴンR」、ダイハツの「ムーヴ」や「タント」、ホンダの「N-BOX」などがその代表で、大人気となっています。

全自動車の保有台数に占める軽自動車の割合というデータがあるのですが、都道府県によっては軽自動車の比率が5割を超えています。東京・大阪・愛知などの都市部では軽自動車の割合が低い一方で、鉄道やバスなどの公共交通機関が充実していない地方部では、家族がひとり一台軽自動車を持っていることも珍しくありません。人々の生活に不可欠な「足」として、まさに文字通りの「国民車」としての地位を確かに築いています。

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▲ダイハツ・ムーヴ(6代目)。スペース系軽自動車の代表格。(出典)

しかし、デザインとして今の軽自動車を見ると、どうしても「リジッド(硬直的)なものになってしまっているな」というのが、僕がいま感じていることです。
法的に軽自動車の規格がはっきりと決まっているのもそうですし、デザイン的にもだんだんと似た形に収斂していっています。決められたサイズの中で室内空間をできるだけ広く取ろうとすると、どうしても似たようなデザインになってきてしまうという事情もありますが、軽自動車というフォーマット自体が社会の中で決まった位置付けになっていることとも関係があるのではないかと思っています。

携帯電話にも同じことが起きました。iPhone前夜にはさまざまなデザインの携帯電話が、スタンダードの座を狙ってたくさん出てきていたことを覚えている人も多いでしょう。しかしiPhoneが出た瞬間、みんなが「これこそスタンダードだ」と確信しました。そして携帯電話のデザインは、iPhoneをベースとしたものに収斂していきました。

多くのものが模範とする雛形となるデザインは、様々な試行錯誤を経て生まれるもので、そこには様々な苦労があります。しかし一度その雛形が決まってしまうと、黎明期にあったデザインの多様性や自由な発想力が失われていってしまう部分もあると、僕は思っています。

静岡県にある浜松楽器博物館のお仕事をさせていただく機会がありました。たくさんの楽器が展示されているのですが、僕が心惹かれたのは、今では作られなくなった奇妙なデザインの楽器たちです。今でこそ楽器と言えばどのメーカーが作っても、基本形はほとんど同じデザインになっていますが、当時はどんなデザインの楽器にすべきなのか、お手本がない中で真剣に考え、さながらカンブリア紀の生物たちのように、さまざまな試行錯誤が行われていたのです。

日本の軽自動車も、最初から今の形だったわけではありません。軽自動車の黎明期には、収斂しようにも最初の雛形がない中で、みんながそれぞれ真剣に課題と向き合って、新たなフォーマットを切り拓こうと野心的な車が次々と生まれていきました。そんな強い想いと独自の思想に貫かれたユニークな国産軽自動車の系譜は、リジッドになってしまった今の軽自動車のフォーマットを考えなおすために、きっと参考になるものだと思います。

今回はそんな軽自動車の姿について、過去編と未来編の二回に分けてお話していきたいと思います。過去編では黎明期に次のスタンダードを模索してきた軽自動車たちについてご紹介し、未来編では軽自動車の新たなる姿として僕が考えている、超小型モビリティについて掘り下げていきたいと思います。

■羽のように軽やかに──軽量化を徹底しすぎた「フライングフェザー」

日本で軽量で安価な自動車であるところの「軽自動車」が模索され出したのは、1950年代半ばのことです。戦後から10年、日本は急速に復興を遂げつつありました。国全体が一丸となって豊かさへと向かっていく中で、自動車の位置付けも変わっていきます。それまで自動車はものすごく高級で、所有していること自体がステータスでした。しかし国民みんなが少しずつ豊かになっていくにつれて、誰もが手にできる自動車が求められるようになっていました。そんな国民車を作ろうとさまざまな試みが行われていたのが、1950年代という時代でした。

まず最初にご紹介する「フライングフェザー」は、1950年代半ばに住江製作所によって作られた2人乗りの自動車です。デザイナーは、日産出身の富谷龍一さんです。「フライングフェザー」はその名前の通り、「羽根のように軽い」ことを目指した車でした。重量はなんと380kg。現代の自動車は、たとえば前出のアクアで約1t、軽自動車のワゴンRで約800kgですから、その驚くべき軽さがわかります。

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▲フライングフェザー。軽量化と簡素化を突き詰めた末の独特な佇まいが魅力。(出典)

軽量化と簡素化には多くのメリットがあります。軽量であれば、パワーの出ないエンジンでもよく走ります。また、簡素な構造にすることによって、小規模な設備で安価に生産することもできます。衝突した場合でも、みんなが軽ければ被害はずっと少なくてすみます。軽く簡素にすることで、様々な点でよい循環を生み出せるようになるのです。戦後まもなくで物資も不足し、自動車の普及率がまだ高くなかった日本で、小型軽量安価な国民車の役割を担うべく開発されたフライングフェザーが、軽量化を至上命題として掲げたのも納得できるというものです。

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▲軽量安価なインテリアは質素の極み。(出典)

デザインにもこうした野心的な試みが現れています。まず目を引くのがタイヤで、なんとバイク用の、幅の狭いタイヤを流用しているんです。
基本的に、車の物理学はタイヤで決まります。外世界と車が接するのは、タイヤと道路が接触しているハガキ1枚ほどの面だけです。(フライングフェザーではもっと小さいですが。)速度が上がってくれば空気抵抗も影響してきますが、どんなタイヤを採用するかによって、どのような性格の車になるかは自ずと決まってきます。

今の自動車は軽も含めて、基本的には前の車種よりも優れた装備を搭載したり、安全な装置を加えたりして、基本的にはどんどん「武装」していく傾向にあります。より快適で便利に、より安全で頑丈にというわけですね。

ところが、これは未来編でもお話することと繋がってくるのですが、この「フライングフェザー」はむしろ「みんな自転車やバイクを使っているけれど、そこに雨除けがあったり、四輪で走行が安定して誰でも運転できるようにしたほうがいいよね」という素朴な発想でつくられているように思うのです。
バイクは便利な乗り物ですが、雨が降ればライダーはぬれてしまいますし、バランスをとって乗る必要があるため、一定以上の身体能力も必要とされます。そうなると小さな子供を連れた女性や、体力の衰えた高齢者にはハードルの高いものになってしまいます。

そういったバイクのハードルを低くして、多くの人に簡単に運転してもらえるようなものにしたい――この「フライングフェザー」は、現代の軽自動車の「小さなクルマでも大きなクルマとできるだけ同じに」という方向性とは違い、「バイクを誰でも簡単・便利に、生活のなかで使えるものしよう」という下から上がっていく発想が根底にあるんですね。

「フライングフェザー」のデザイン面では他に、車体後部にあるエアーアウトレットが目を引きます。リアにあるエンジンからの排熱という必要性に迫られた形だと思うのですが、カッコよく仕上がっていますよね。徹底して装飾を廃し薄い鋼板でハンドメイドされたボディを含め、今見てもなかなか個性的で小気味いいデザインをしているなと思います。

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▲後部に大きく開けられたエアアウトレット。(出典)

また、もうひとつの大きな特徴として挙げられるのが、なんとフロントブレーキを搭載していないことです。リアブレーキしかない自動車は1920年代以降ほとんど作られておらず、時代に逆行しているとも捉えられかねない仕様でした。確かにエンジンは後部に搭載されていて、人も中央より後ろに乗っているので、重量配分から言えば後部ブレーキだけで事足りるというのは合理的な選択かもしれません。しかしだからといってフロントブレーキまでなくしてしまうのは、当時の人にとってもやりすぎと思えるものでした。

結局フライングフェザーのあまりに強すぎる思想は、市場には受け入れられませんでした。たったの50台ほどが生産されただけで、姿を消してしまったのです。

■超小型自動車のパイオニア──あまりにも未来を走った「フジキャビン」

「フライングフェザー」の後、同じ富谷龍一氏が富士自動車で手掛けたのがこの「フジキャビン」です。これも「フライングフェザー」と当初の思想が似ていて、「倒れなくて雨除け(屋根)があるバイク」というコンセプトで開発されています。エンジンもオートバイ用のものが使用され、内部機構もオートバイと自動車の中間的なものとなっています。

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▲フジキャビン。その姿はどこからどう見ても「未来の車」だ。(出典)

「フライングフェザー」が四輪であったのに対し、フジキャビンが特徴的だったのは前二輪、後一輪の三輪レイアウトになっていることです。50年代当時から「オート三輪」と呼ばれるカテゴリはありましたが、前一輪、後二輪が主流でした。このレイアウトは、前半部分はオートバイそのままで、荷物を積む後ろ半分だけを二輪にすればよかったため、比較的簡単に設計できましたが、その分コーナリングで倒れやすいという欠点も抱えていました。戦後の日本では、交差点でオート三輪が転倒している姿が日常風景のひとつだったりしたんです。

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▲かつてマツダが生産していたオート三輪「マツダ・K360」(出典)

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