宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

Serial

  • 2015.10.16
  • 井上敏樹,小説,月神

【集中連載】井上敏樹 新作小説『月神』第7回

平成仮面ライダーシリーズでおなじみ脚本家・井上敏樹先生。毎週金曜日は、その敏樹先生の新作小説『月神』を配信します! 今回は第7回です。


 

 翌日、篠原と連絡を取って仕事に向かった。家を出る前に床の間の月の石を頭に乗せ少しの間瞑想する。
 おれはすでに篠原から現場までの詳細な地図を受け取っていた。奴はおれが指定された場所まで走っていく事を知っているので迷わぬように丁寧な地図を書いてくれる。
 すっかり元気になったクマルに、おれはいつものように隕石を探しに行くと言って家を出た。
 今回はかなり距離がある。体力が続く限り走っても日帰りは無理だ。おれはじっくり行こうと決め普段よりも楽なスピードで走り始める。昼過ぎから三時間ほど幹線道路を走って目についたステーキハウスで食事を摂る。今日のように有酸素運動の長い日は大量の炭水化物が必要だ。さもないと脂肪と一緒に筋肉までがエネルギーとして消費されてしまうのだ。
 おれは500グラムのステーキを食いながらライスを七回お代わりする。たっぷりの野菜も忘れない。デザートにはチーズケーキをホールごと頼んだ。食事を終えるとリュックからサプリメントのボトルを取り出しテーブルに並べる。各種ビタミン錠、一酸化窒素ブースター、イチョウ葉エキス、ベータカロチン、ノコギリヤシ、コンドロイチン、コラーゲンと、次々に口に入れていく。
 最後にコーヒーを飲みながら一時間ほど休憩して再び走った。水分補給にはスポーツドリンクにオレンジジュースとグルタミンを混ぜたものを頻繁に飲む。グルタミンというのは簡単に言えば筋肉のおやつだ。それを喉が乾く前に飲むようにする。食事も同じだ。空腹を感じる前に腹に詰め込み、常に体を栄養過多の状態にしておく。その過剰分が筋肉を作る。
 おれほどの体格になると走る度に全身の筋肉がゆさゆさと揺れる。巨乳の女と同じ具合だ。そういう揺れの感覚も楽しいものだが長時間続くと疲労に繋がる。おれは上半身にきゅっと力を入れ、筋肉を固定して走る。その方が疲れないのだ。
 三時間おきに店で食事をし、途中適当に休憩を挟みながら夜九時まで走り続け、ビジネスホテルに部屋を取った。
 冷たいシャワーを浴びながら悪くないペースだと思う。この調子で行けば明日昼頃ホテルを出て夜七時か八時には目的地に着けるだろう。
 人殺しをする際、おれが走るのには理由がある。それはおれなりの相手に対する礼儀なのだ。おれは武器を使わずに人を殺す。鍛え抜かれた肉体だけが頼りだ。人の命を奪うには自分の手で毟り取らねばならない。だから武器は使わない。おれの仕事はおれが家を出た時から始まっている。おれは依頼者に会いにいく。依頼者に死が近づいていく。その過程においてもおれはおれ以外のものに頼りたくないのだ。おれぐらいの巨躯になると走るのは苦痛だ。だが、それでいい。それがいい。おれは人を殺す。だからその前に、少しの苦痛を受け入れる。
 翌日は予定通りに進んだ。おれは順調に走り続け、依頼者との距離を縮めたが、後少しという所で道に迷い電話をかけた。電話ボックスに入り篠原が地図の隅に書いてくれた依頼者の番号を押すとまず女が出たので「今日、会う予定の者だが」と言うと男に代わった。
 男は落ち着いた口調で丁寧に道を教えてくれた。きっと頭のいい奴なのだろう。
 おれは依頼者についてなにも知らない。篠原もおれの流儀に従って何も言わない。おれは殺す相手に対してどんな先入観も持ちたくない。おれの目で直に相手を見、直に身の上話を聞き、何の苦痛も与えずに、いや、出来ればおれの寺院のような肉体に抱かれる事で畏怖と喜悦を感じさせて殺してやりたい。それがおれのやり方だ。
 だが、まさか今回の依頼者が個人ではなく、家族だとは意外だった。親子三人が自殺志願者だとはおれが人殺しになっての十五年か二十年か二十五年の間で実に初めてのケースだった。
 男は大通りの街灯の下で待っていた。おれを見るとよくいらしてくださいましたと言ってにっこり笑った。久しぶりに遠い親戚にでも会ったような感じだった。男は白いワイシャツにグレイのスーツを着て臙脂のネクタイを締めていた。大会社のお偉いさんのような雰囲気だった。きっと実際にそうなのだろう。おれは男に従って脇道に入った。極く薄い三日月が雲の間に光っている。
 まさか走っていらっしゃるとは思いませんでした。驚きましたよ。
 おれは答えずにゆっくりと歩く。まだ、呼吸が乱れている。体中が汗塗れだ。男の体もおれと同じように濡れている。
 夜の闇を通しても建ち並ぶ家々の新しさが分かる。街全体が新しい。ショッピングモールやコンビニや高層マンションが計算された配置に建てられ、道路はまだアスファルトの原色を残している。静かな街だ。この新興の街にはまだ住人が揃っていない。きっとこれからの街なのだろう。
 おれは芝生の庭の豪邸に通される。同じような造りの両隣にはひとけがない。
 さあ、どうぞ、お入りください、と言って男がスリッパを揃えてくれる。
 だが、おれは靴を脱ぎ裸足のまま家に上がった。三十五センチのおれの足はスリッパに入らない。すぐに転びそうになり壁に手をついて危うく支えた。廊下が濡れているせいだ。
 男は廊下を進み幾つかのドアを過ぎてふたつのシャンデリアが緋色のカーペットを照らす広々とした部屋に案内した。シャンデリアと同じように金色の装飾が施されたテーブルを黒い革製のソファセットが囲んでいる。
 四人掛けのソファに離れて座るふたりを、男は妻と息子です、と言っておれに紹介した。全てがびっしょりと濡れていた。男も息子も女房も、カーペットもソファもテーブルも、部屋全体がガソリンで濡れている。おれは男と会った瞬間にその匂いに気づいていた。車の運転をしないおれでもガソリンの匂いぐらい分かる。
 女房は真っ直ぐにおれを見つめて頭を下げた。年の頃は男と同じ五十になるかならないかといったところだろう。きれいに結い上げた髪も薄紫の着物もガソリンに塗れているが佇まいに動揺はない。
 三人の中で息子だけが身なりが悪い。薄汚れたTシャツに短パン、肩まで伸びたボサボサの髪が顔を半分隠している。
 おれは男に促されて一人掛けのソファに腰を降ろした。
 テーブルにはすでに人数分のティーセットが並び、女房がおれにポットの紅茶を注いでくれる。その手が小刻みに震えている。手首に何本もの傷跡がある。
 先程、女房が落ち着いて見えたのは間違いだった、と分かる。実は女房はここにいない。おれを見ても見てはいない。その目は焦点が合っておらず、何か他の物を凝視している。女がなにを見ているのかは分からない。だが、それを見たその瞬間の表情が僅かだがまだ女の顔にとどまっている。恐怖と驚愕。おれがよく知っている表情だ。おれに頭を下げてもお茶を注いでもそれは女の意思ではない。体内の歯車が動くように、ただ、自動的になされる動きなのだ。
 男は紅茶を飲み、クッキーを摘んだ。篠原さんに言われた通りに遺書を書きましたが、とおれに言う。会社のパソコンの方に残してあります、それでいいですか?
 おれにはよく分からない。それは篠原が決める事だ。
 おれは紅茶に口をつけて顔をしかめる。ガソリンの味だ。
 もうお察しの事と思いますが、と男はおれが黙ったままでいると言葉を続けた。あなたに仕事を依頼したのは私たち三人です。私と妻と息子をあなたに殺して欲しいのです。
 おれは男を見つめて頷いた。問題はない。
 また、篠原さんが言うには、あなたは仕事の前に相手の身の上話を望むそうですが今回は私たち家族が依頼者なのですから家族の歴史、というようなもので構わないでしょうか?
 おれはもう一度頷く。構わない。
 失礼ですが、生まれはどちらで、と男が訊ねる。
「島だ」おれは答える。今は人が住んでいるのかも分からない遠い島だ。
 私と妻は栃木の生まれなんですよ、男が言う。幼馴染みでしてね、私は子供の頃からずっと妻の事が好きでした。
 男はおれの正面の一人掛けのソファに座っている。腕を伸ばして女の手を握り締める。女は男に笑顔を向ける。だが、それも自動的な動きだ。それは笑顔に見えて笑顔ではない。女房は夫を見ていない。

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