宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.12.16
  • 石岡良治

〈京都アニメーション的表現〉の次なる可能性 (『石岡良治の現代アニメ史講義』第3回 )

今朝は、批評家の石岡良治さんの連載『現代アニメ史講義』の第2回後編をお届けします。
前編では「青春」を描くアニメスタジオとしての京アニの特質を論じましたが、後編では『Free!』『たまこまーけっと』『響け!ユーフォニアム』などの近作から、京アニ表現の次なる可能性を考えます。


■ 日常系・空気系への移行期

次は『けいおん!』(2009年)から『氷菓』(2012年)までの時期をみていきます。
Key作品で得た学園フォーマットの可能性を拡大したことが、この時期の特徴として挙げられます。この時期「脱(だつ)いたる絵」の傾向が進んでいったのですが、それが堀口悠紀子デザインの『けいおん!』で明確になりました。堀口さんは今では「白身魚」名義でのイラストレーターとしての活躍が目立ちますが、『らき☆すた』(2008年)から京アニ作品に携わっています。堀口さんの絵柄は『らき☆すた』から『けいおん!』にかけて、「セカイ系」から「日常系・空気系」へと移行していきました。

らき☆すた
▲らき☆すた ブルーレイ コンプリートBOX

けいおん!!
▲けいおん!!(2期)Blu-ray Box

この時期、『涼宮ハルヒの消失』(2010年)、『映画けいおん!』(2011年)で映画枠に対応するレイアウトに適応できるようになったと考えています。『涼宮ハルヒの消失』における長門有希の屋上シーン、『映画けいおん!』のロンドンでのライブシーンにおける放課後ティータイムとロンドンという街の両方が写っているシーンに顕著にみられます。
私たちが考える京アニのイメージはこの時期に形成されたと言えるでしょう。『けいおん!』以降、京アニ視聴者が増加したというのが私の考えです。

■ 京アニはキャラクターをどう動かしているか

この2つの劇場版の間で犠牲になった作品が『エンドレスエイト』(注1)です。
日本ギャグ漫画界の巨星、漫☆画太郎先生の技法に「コピーアンドペースト(コピペ)」というものがあります。(参考資料:白石俊平「漫☆画太郎論 「罪と罰」を読んで」 )漫☆画太郎さんのコピペは、トラック激突オチが有名ですが、機械的な反復が中心で、ときどきバリエーションが加わるものです。それに対して『エンドレスエイト』は完璧に全てを身体化して、毎回作画をしていました。京アニの実験作は、動作をひとつひとつ丁寧に描いてしまう特徴があります。動かしすぎではないか、または物語に関係のない動作をしているのではないかと疑問に思っている方はいらっしゃると思います。私自身の嗜好としては、拙著『「超」批評 視覚文化×マンガ』でも語っているように、マンガやアニメ、その他が生き生きとした動きを期待されている場所で、生命性のあるモノが動作を止めたり、死を迎えたり、切断されるところにポテンシャルを感じます。

(注1)エンドレスエイト:涼宮ハルヒシリーズ原作第6巻『涼宮ハルヒの暴走』に収録されているエピソード。2006年の第1期アニメ化の際には扱われなかったが、2009年のアニメ化の際には映像化された。終わらない夏休みを繰り返す内容で、アニメでは8話連続して細かな脚本や演出の異なるほぼ同じ内容が放映され話題となった。

涼宮ハルヒの憂鬱
▲涼宮ハルヒの憂鬱 ブルーレイ コンプリート BOX

しかし、京アニのアニメに関しては、動作を止めてしまうとキャラクターが死んでしまうからこそ動かすのではないか、という強迫性をたまに感じます。キョン妹による「キョンくん、電話〜」というセリフの反復に、漫☆画太郎先生のトラックオチに似たようなものを感じます。京アニの動きは、演出とマッチングしていないこともしばしばありますよね。しかし、そこにこそ京アニの良さがあります。一時的な演出として効果的かつエコノミカルに奉仕するような動きとは限らないのが、京アニのある種の過剰さであると言えます。

『日常』においても校長と鹿のプロレス対決を本気で描きこんでいます。ここに京アニの執拗な強迫観念があると言えるかもしれません。『群像』2015年7月号の随筆(石岡良治「再び書き始めるために」、322-3ページ)で、私は『ピタゴラスイッチ』について語っています。『日常』の第1話は、意外なギミックもあり伏線も回収している点で完璧なピタゴラスイッチであると思います。
私の印象論ですが、京アニは、バラバラなものを因果関係で繋げるチェインリアクションで連鎖反応的に描くことが必ずしも得意ではないように思います。キャラクター単体の描きこみは良いのですが、キャラクター同士があまりかみ合わないと言い換えることができます。そのズレがドラマを生み出すとも言えます。しかし、なぜうまくかみ合わないかというと、一つ一つの物体やキャラが、特定の機能に還元されていないからです。キャラの個性が大事にされている反面、ピタゴラスイッチ的な「回路」にはなりにくいため、『日常』の装置的なギャグにはそぐわないようは気がします。また、ギャグアニメは「静」と「動」の動きでメリハリをつけるものですが、『日常』においては全てのキャラクターが動きすぎであるように思います。

日常
▲日常 ディレクターズカット版 DVD-BOX

しかし、『日常』は再構成されたNHK放映版(2012年にEテレで放映)で、そのような残念さがだいぶ軽減されていました。私が京アニを常にスゴいとは思わない理由として、「編集」のキレが必ずしもよいわけではないところを挙げます。『AIR』『けいおん!』(1期)のように「シナリオ進行の速さ」がうまく機能している場合もありますが、このようなケースは尺の都合で外的に生まれた成功のような気がします。『日常』はDVDを売る商売という点では必ずしもうまくいかなかった、すなわち京アニ売上神話を崩した作品と言われる時がありますが、そこで生まれた副産物が、シャッフルして編集し直した『日常』NHK版です。するとそこにはピタゴラ装置性が生まれました。映像の中でも「動き」の連鎖反応は起きるのですが、「編集」で切る作業によって、シーンとシーンのつなぎがメリハリのあるものになりました。その結果、『日常』NHK版は一定の評価を得ることになりました。もちろんそこでカットされた場面を惜しむ人も多いため、今私が言っているような、『AIR』『けいおん!』(1期)『日常』NHK版が好き、という感性を持っている人は、いわゆる狭義の京アニ原理主義者とは明らかに違うように思います。

■ アニラジ系作品の元祖としての『らき☆すた』

『らき☆すた』についても少しだけ言及します。現在人気のラジオ番組『洲崎西』(注2)は『らき☆すた』的なものとされていますが、その中でもどちらかというと「らっきーちゃんねる」的なものであると言えます。また「らっきーちゃんねる」は『gdgd妖精s』から『てさぐれ!部活もの』に至るまでの石ダテコー太郎(石館光太郎)作品にも見られる「アニラジ」的な作品に影響を与えているのではないかとも考えています。「らっきーちゃんねる」の意義については今後さらに明らかになるところもあるので、続けて考えなければいけないと思います。
また、『らき☆︎すた』の舞台である鷲宮神社は「聖地巡礼」として最も成功した場所であると言えます。しかし、『らき☆すた』の聖地性はデフォルメが効いたもの

(注2)『洲崎西』:2013年7月2日から超!A&G+で放送されているラジオ番組。パーソナリティは若手女性声優の洲崎綾、西明日香。

■ 女性の視覚的快楽へと踏み出した『Free!』

最後は『中二病でも恋がしたい!』(2012年)以降の時期です。この時期は自社レーベルが中心となっていった時期でした。この時期の作品で、私が素晴らしいと思う作品は『Free!』シリーズ(第1期は2013年、第2期は2014年放映)です。『Free!』は基本的には男性キャラが演じた『けいおん!』と言えるもので、そこに新しい要素が加わったものと考えています。一般的に女性向けコンテンツは、BLなどの性的な要素を展開するときにも、直接的な「肉体描写」よりは、登場人物同士のセリフや視線のやり取りなどの「関係性」に特化したものが多いと言われています。男性向けコンテンツが、女性キャラの容姿やボディパーツなどの「視覚的快楽」に向けられるのに対して、「関係性の妄想」を誘うような描写が際立つという形で対比されてきたわけです。典型的なのは、スカートを履いたキャラが出てくるときのニコ動でのコメントです。特にスカートの中が見えていない時でも、ネタのように「みえ」というコメントがほぼ確実に出てきます。それだけ男性向けのアニメ描写が「視覚的快楽」に向けられているわけですが、女性向けの場合には、それっぽいセリフの方がより作りこまれる傾向が多かったわけですね。

free!
▲Free! 1 [Blu-ray]

そこで『Free!』が画期的だったのは、OPで全員が上半身の筋肉を見せつけ、直接的な視覚的快楽要素を全面展開しているところです。乙女ゲーやBLコンテンツなどの、男性キャラが多数現れる作品では、もちろん何人か肉体派キャラがいることが多いのですが、『Free!』がすごいのは、葉月渚のような、通常なら筋肉が強調されることがないかわいい系ショタキャラであっても、当然のように筋肉質に描かれていることです。「上半身の魅力」へのこだわりをスタッフが表明していることが知られていますが、そうした筋肉描写が可能になったのは、京アニの作画の力があってこそといえます。全員腹筋が割れていることに加えて、例えば橘真琴は背筋の描写へのこだわりが徹底していて、回を追うごとにムキムキになっていっています。「視覚的快楽」というキーワードは、ローラ・マルヴィ(注3)というフェミニズム映画理論家の論文に出てくる言葉なのですが、そこではもっぱら「女性の身体が男性視聴者に対して現れる姿」が批評されていました。言うなれば、『Free!』は深夜アニメの世界において、この関係性を反転し、女性視聴者にとっての視覚的快楽としての筋肉、という描写を確立したのではないか、と考えています。

(注3)ローラ・マルヴィ:フェミニズム映画理論家。1975年の論文「視覚的快楽と物語映画」で、古典的ハリウッド映画において女性が「見られる存在」として描かれることによって、観客の視線が常に男性的主体として位置づけられることを指摘した。


 

▼執筆者プロフィール
石岡良治(いしおか・よしはる)
1972年東京生まれ。批評家・表象文化論(芸術理論・視覚文化)・ポピュラー文化研究。東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)博士後期課程単位取得満期退学。跡見学園女子大学、大妻女子大学、神奈川大学、鶴見大学、明治学院大学ほかで非常勤講師。PLANETSチャンネルにて毎月のレギュラー番組「石岡良治の最強☆自宅警備塾」を放送中。著書に『視覚文化「超」講義』(フィルムアート社)、『「超」批評 視覚文化×マンガ』(青土社)など。

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