『ドラがたり――10年代ドラえもん論』(稲田豊史)第8回 大長編考・前編 ふたつの「ドラえもんコード」
本日は稲田豊史さんの連載『ドラがたり』をお届けします。今回からは「大長編考」として、毎春公開される「映画版ドラえもん」についての考察です。大長編初期の傑作群「神7(セブン)」、そして映画ドラの必要条件ともいえる「大長編ドラえもんコード」について論じます。
●大長編ドラえもんの歴史
3月と言えば映画ドラえもん(映画ドラ、春ドラ)の公開月である。毎年、子供たちの春休みを狙って公開される映画ドラは、第1作の『のび太の恐竜』(80年公開)から今月公開の最新作『新・のび太の日本誕生』まで、合計36作が制作されており(*1)、もはや日本人にとって「春の風物詩」と化していると言ってよい。
そんな映画ドラの原作として、藤子・F・不二雄が逝去直前まで描き下ろした一連の作品は「大長編ドラえもん」と呼ばれている。各作とも単行本1冊分、200ページにも満たない「中編」ではあるが、オフィシャルに「大長編」という名称で謳われているため、本稿もそれに倣う。
1980年代から90年代に幼少期を過ごした日本人、特に男性のなかには、冒険物語に触れる読書体験の入り口が大長編ドラえもんだった、という方も多いはずだ(筆者もそうである)。
宇宙や海底、過去や未来といった非日常性の高い舞台。世界の存亡や己の生死を賭けた冒険の数々。緩急あるプロットと深みのある人間ドラマ――。かつての少年たちが『宝島』や『十五少年漂流記』を食い入るように読み、その冒険譚に血沸き肉踊らせたように、1980年代から90年代にかけては、日本中の小学生がのび太たちの大冒険に胸を躍らせた。
正直、ある時期以降の大長編については、その完成度において玉石混交の「石」度が高い感も否めない。しかし多くの子供たちを圧倒的なセンス・オブ・ワンダーの世界に没頭させたFの功績は、限りなく大きい。ある世代以降の日本の子供たちのイマジネーションレベルは、この大長編ドラえもんで確実に底上げされた。
1969年の連載開始以降、『ドラえもん』を一貫して短編で執筆していたFが、連載11年目の1979年になぜ突如長編版を執筆したのか。このあたりの事情は、アニメ版『ドラえもん』の制作スタジオであるシンエイ動画の元社長・楠部三吉郎氏の著作『「ドラえもん」への感謝状』(小学館)に詳しい。以下の内容は書籍に準ずる。
当時、楠部のもとに、映画会社から「『ドラえもん』を『東映まんがまつり』のラインナップに組み込みたい」というリクエストが舞い込む。1970年代、「東映まんがまつり」は、春休みや夏休みに子供向けアニメを複数本まとめて上映し、大きな興行収入を稼いでいたのだ。映画会社は、1979年よりスタートしたTVアニメ版『ドラえもん』の人気に目をつけ、既存の短編作品を数本まとめて劇場用として公開してはどうか、と提案したのである。
楠部はこれをFに伝えるが、Fは拒否。おそらく、出来合いのTV向け短編を流用して小銭を稼ぐことに、嫌悪感を抱いたのだろう。
すると、『ドラえもん』連載誌の発行元である小学館の赤座登(元専務)が楠部に、「小学館が責任を持つから、『ドラえもん』の長編アニメを作ってほしい」との意向を示す。要は、TVアニメの再編集版ではなく、映画化前提のオリジナル長編原作をFに描き下ろしてもらいたいというわけだ。
ところがFは「僕は短編作家です」と、この提案も拒否。しかし楠部は諦めなかった。であれば、発表済みの短編『のび太の恐竜』(てんコミ10巻収録、執筆は1975年)の続きを描いてほしいと食い下がる。
Fはこれを承諾し、続きが描き足された『のび太の恐竜』は、晴れて長編映画として劇場公開された。1980年3月のことである。しかも、現在の興収に換算して30億円前後のヒットを記録したのだ。
この成功を受け、大長編の2作目『のび太の宇宙開拓史』以降は、「『コロコロコミック』誌上に数回連載された作品が、3月に劇場用長編アニメとして公開される」というスキームが確立する。ちなみに、1988年に公開された映画版第9作『のび太のパラレル西遊記』には原作が存在しないが、それはFの体調不良によるためだ。
F本人が執筆した最後の大長編は、1997年に映画版第18作として公開された『のび太のねじ巻き都市(シティー)冒険記』。制作中にFが逝去したため、最終的にはFの原案に基づいて藤子プロが完成させた。
しかし、映画ドラはここで終わらなかった。以降の映画作品は、映画版スタッフと藤子プロによるオリジナルストーリー、もしくは既存の短編に着想を得た半オリジナル、もしくは過去の映画ドラのセルフリメイクという形で、毎年1本ペースの制作が継続される。
なお、映画版第25作『のび太のワンニャン時空伝』(04 年公開)までは大山のぶ代が演じるドラえもん――いわゆる「大山ドラ」版だ。2005年は映画ドラが制作されず、第1作のリメイクである第26作『のび太の恐竜2006』(06年公開)からは、2005年に声優とスタッフが一新されたTVアニメ版同様、水田わさび演じる「水田ドラ」版にリニューアルされた。
そんな「水田ドラ」の劇場版は、今年の『新・日本誕生』で11本目となる。
(*1)2014年8月公開のCG映画『STAND BY ME ドラえもん』はここに含めない
●オーバー35歳の初期「神7」
映画ドラは2012年の『のび太と奇跡の島 〜アニマル アドベンチャー〜』以降、4年連続で、興収30億円代後半を堅調にキープしている。現在の日本映画界において、コンスタントに30億円代後半を稼ぎ出せるシリーズはかなり稀な存在。映画ドラは他に類を見ない、盤石の「ドル箱シリーズ」なのだ。
かつて世界に冠たるジャパンコンテンツと褒めそやされた『ポケットモンスター』の場合、1998年の映画第1作はいきなり70億円以上の興収を叩き出すも、ゼロ年代を通じては30〜50億円の間をウロウロ。ここ2年ほどは20億円代にとどまり、完全に映画ドラの後塵を拝している。
歴史あるファミリー向けアニメとして『ドラえもん』の近似層に訴求する『クレヨンしんちゃん』(映画版1作目は93年公開)の興収は、ほぼ一貫して10億円〜20億円代前半を推移。映画ドラの半分程度しかない。
ただ、映画ドラも若干の停滞期があった。ゼロ年代全体を通じては、興収20億円代と30億円代前半を行ったり来たりしていたのだ。
しかし2005年の声優交代と作風の刷新は、数年の時間をかけて劇場成績を見事に回復させた。その意味で、賛否あった声優リニューアルという英断は、コンテンツとしての『ドラえもん』を少なくとも20年は延命させたと評価してよい。
映画ドラは40年近く続く長期シリーズのため、ひとたび大人が数人集まれば、世代別に思い入れのある作品やエピソードトークには事欠かない。
現在40歳前後の方であれば、『のび太の宇宙開拓史』(82年公開)のギラーミンvsのび太の一騎打ちに鳥肌を立て、『のび太の海底鬼岩城』(83年公開)の「バギーちゃんのネジ」に胸を打たれ、『のび太の魔界大冒険』(84年公開)の見事な伏線に唸りを上げ、男の子なら『のび太と鉄人兵団』(86年)のロボット少女・リルルに恋をしただろう。
もう少し下、30歳前後であれば、『のび太の日本誕生』(89年公開)のギガゾンビに戦慄し、『のび太のドラビアンナイト』(91年公開)の奴隷しずかに目を覆い、『のび太と雲の王国』(92年公開)で故障したドラえもんに心を痛め、『のび太とブリキの迷宮(ラビリンス)』(93年)の「イートーマキマキ」が耳について離れないことだろう。
映画ドラの人気ランキングは各所でよく話題にのぼり、記事化もされる。しかし、世代や嗜好によってランキングが大きく変わってくるので、決定版を設定しにくいのが実情だ。
あえてざっくり傾向を挙げるとすれば、オーバー35歳は、初期の7作を絶対視する傾向にある。7作とは、『のび太の恐竜』(80年公開)『のび太の宇宙開拓史』(81年公開)『のび太の大魔境』(82年公開)『のび太の海底鬼岩城』(83年公開)『のび太の魔界大冒険』(84年公開)『のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)』(85年公開)『のび太と鉄人兵団』(86年公開)。いわば「神7(セブン)」だ。
実際、この7作は原作大長編のなかでも屈指の完成度を誇るマスターピースであり、御年41歳の筆者もそれに異論はない。なかでも『魔界大冒険』と『鉄人兵団』は、さながら大島優子と前田敦子。人気を二分するダブルセンターだ。若い皆様におかれては、ドラえもん好きオーバー35歳に話しかける際には、(話が長くなるので)じゅうぶんに注意されたい。
いっぽう、アンダー35歳では、『のび太の日本誕生』(89年公開)『のび太のドラビアンナイト』(91年公開)『のび太と雲の王国』(92年公開)『のび太とブリキの迷宮』(93年公開)あたりに人気が集まる。が、「のび太と『アニマル惑星(プラネット)』(94年公開)のディストピア観がたまらない」とか、「のび太と『夢幻三剣士』(93年公開)の男装しずかがイイ!」といったマイノリティ・リポートもごまんとあるので、なんとも言えないところである。
なお、ドラえもん好きのアラサー女子は、「ペガ、グリ、ドラコを飼いたい!」「ブリキンホテルに泊まりたい!」(*2)などと口にしがちなので、3〜40代ののび太系男子諸君は、飲み会等のネタ振りにぜひご活用いただきたいと思う。
(*2)「ペガ、グリ、ドラコ」は『のび太の日本誕生』に登場する架空の動物。冒頭『新・のび太の日本誕生』のポスター画像も参照。ブリキンホテルは『のび太とブリキの迷宮』に登場する謎のホテル。
●大長編ドラのアイデンティティ:コードⅠ
原作の大長編と映画ドラを精査すると、ある作劇上のお約束が浮かび上がってくる。本稿ではこれを、「大長編ドラえもんコード」と名付けたい。「コード」は「ドレスコード」の「コード(code)」と同じ、「規則、規定」といった意味だ。
「大長編ドラえもんコード」には2つのレイヤーがある。ひとつは、「大長編ドラえもん」を「大長編ドラえもん」たらしめている必要最低限度の約束(コードⅠ)。もうひとつは、その発展形として「大長編ドラえもん」を傑作たらしめる法則(コードⅡ)だ。
コードⅠは4戒、コードⅡは5戒ある。
▼執筆者プロフィール
稲田豊史(いなだ・とよし)
編集者/ライター。キネマ旬報社でDVD業界誌編集長、書籍編集者を経て2013年にフリーランス。『セーラームーン世代の社会論』(単著)、『ヤンキーマンガガイドブック』(企画・編集)、『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』(構成/原田曜平・著)、評論誌『PLANETS』『あまちゃんメモリーズ』(共同編集)。その他の編集担当書籍は、『団地団~ベランダから見渡す映画論~』(大山顕、佐藤大、速水健朗・著)、『成熟という檻「魔法少女まどか☆マギカ」論』(山川賢一・著)、『全方位型お笑いマガジン「コメ旬」』など。「サイゾー」「アニメビジエンス」などで執筆中。
http://inadatoyoshi.com