『ガールズバンドクライ』とはなんだったのか:ファックサインと〈日常〉の反転|徳田 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2024.09.30
  • 徳田四

『ガールズバンドクライ』とはなんだったのか:ファックサインと〈日常〉の反転|徳田

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『ガールズバンドクライ』とはなんだったのか:ファックサインと〈日常〉の反転|徳田

本日のメルマガは、ライター/編集者の徳田四による寄稿文をお届けします。
2024年アニメ最大の話題作(問題作)の一つ『ガールズバンドクライ』。「2nd ONE-MAN LIVE」の開催など、いまだシーンを賑わせ続けている本作のアニメ史的達成とは何か。『けいおん!』や『響け!ユーフォニアム』における、脚本家・花田十輝の軌跡と比較しながら考察します。

2024年4月〜7月にかけて放送されたアニメ『ガールズバンドクライ(ガルクラ)』は、同シーズン最大の話題作(かつ問題作)としてアニメファンに受け入れられた。

実際にミュージシャンとしても活動するロックバンド・トゲナシトゲアリの誕生秘話を描いた同作は、オーソドックスなロック神話を題材にした成長譚のようであり、それでいて映像表現の新規性やキャラクター造形などから極めて「現代的」なようでもあり、その評価をめぐってアニメ終了後の今もなお話題に事欠かない、2020年代を代表するアニメ作品の一つとなった。

「トゲナシトゲアリ」とはいささか独特なネーミングだが、その由来もアニメ作中(第7話)において明らかになる。実はボーカリストの井芹仁菜が、観客のTシャツに印字された文字を即興で読み上げただけという、少し肩透かしをくらうエピソードが描かれたわけだが、ある意味この展開は実に「パンク」バンドらしい。

たとえばTシャツといえば、アメリカのハードコアパンクバンド・Pennywiseは観客の着るシャツに印字されたバンドの楽曲を即興でコピーするパフォーマンスで知られているし、GREEN DAYはスタジアム規模のライブであっても観客をステージに上げて共演する演出が恒例となっている。こうしたパフォーマンスは「演者/観客」の境界を無効化する試みであり、「ステージダイブ」や「モッシュ」などもその一環である。

▲TVアニメ『ガールズバンドクライ』第7話挿入歌「名もなき何もかも」

かつてカウンターカルチャーとして機能していた「パンクロック」は、このような行動を通じて「支配/被支配」「マジョリティ/マイノリティ」「男性性/女性性」などといった対立構造それ自体を破壊すべく、身体パフォーマンスとしてカオスを表明していたのである。単なる「マイノリティによる反逆」ではなく、「マジョリティ/マイノリティ」を定義する二項対立の成立条件そのものを問い直す、不断の脱構築への意思こそが真のパンクスピリッツだ。

こうした試みももはや様式美化している現代において、『ガルクラ』の主人公・井芹仁菜はいかなる意味において「ロック」で、彼女は何に対して「反抗」していたのだろうか。「ファックサイン」の代替として中指の代わりに突き立てられたその小指は、誰に向けられていたのか。

井芹仁菜の反抗動機

俗に「ロック」なキャラ、「狂犬」などと呼ばれがちな仁菜であるが、具体的に彼女が「反抗」していた人物は3人いる。

・河原木桃香(トゲナシトゲアリのギタリスト、元ダイヤモンドダストのボーカリスト)
・井芹宗男(仁菜の実父)
・ヒナ(ダイヤモンドダストの現ボーカリスト)

そして彼女らに反抗すべく仁菜がロックに傾倒していったきっかけとして、以下のようなエピソードが語られる。

高校時代、同級生のいじめを知った仁菜は、自身の正義感からそのいじめられっ子を助けようとする。結果としてそのいじめはなくなるのだが、今度は仁菜がいじめの標的にされてしまう。やがて不登校になる仁菜に対して、「いじめ自体なかったことにする」という条件下での校長の仲介のもと、井芹家といじめっ子双方の家庭での和解の席が設けられる。

しかし自身の正義を頑なに曲げようとしない仁菜はその条件を拒否し、部屋を抜け出す。学校の放送室に立てこもり、全校放送でダイヤモンドダストの楽曲「空の箱」を爆音で再生する。仁菜にとってこの曲は決断の勇気を支えたものであり、周囲に理解者のいなくなった彼女の、唯一の心の支えになっていた曲だったのだ。

▲TVアニメ『ガールズバンドクライ』第1話挿入歌「空の箱」

一連の騒動の後、仁菜は高校を中退し、自立を志して上京(厳密には川崎だが)することになる。そして上京当日、彼女の憧れである元ダイヤモンドダストのボーカリスト・河原木桃香と偶然出会うのだった。

この出会いをきっかけに二人はバンドメンバーを結集し、音楽活動を始める。しかしその後作中で頻繁に繰り返されるのは、仁菜と桃香の口喧嘩(時には取っ組み合い)である。

なぜ仁菜は憧れの桃香と口論を繰り返すのか。頻繁に繰り返されるこの展開から『ガルクラ』の主題に迫ろうと思う。そしてこのことが、かつて『けいおん!』(2009〜2010)において〈日常系〉的世界観を生きる少女たちを描いた脚本家、花田十輝の現在地を明らかにするだろう。

ゼロ年代に流行した〈日常系〉の諸作品は、物語的起伏をあえて廃したたわいもない会話劇を淡々と描くことで、ネット黎明期・ポスト〈セカイ系〉の時代で批判力を持った。そのなかで『けいおん!』はロックミュージックの持つ政治性をも〈日常系〉の淡白さに取り込むことで、音楽アニメの新地平を開いたのだ。

そう考えると『ガルクラ』で執拗に繰り返される「ドラマ」は『けいおん!』以前の作劇に「逆行」しているように一見思える。この変化をどう受け止めるべきだろうか。

河原木桃華への反抗

仁菜と桃香が出会ったその日、桃香は川崎駅前での路上ライブを最後に音楽活動を引退しようとしていたが、仁菜の歌声に惚れ込んだ桃香は彼女をバンドに勧誘し音楽活動を再開することになる。しかしその後も依然として桃香は、バンドの方針について(プロを目指すのかどうかについて)はあいまいな態度を取りつづける。

(元)ダイヤモンドダストとしてメジャデビュー目前に脱退して挫折を味わった桃香は、バンド活動を再開させてもなお自信を持ちきれずにいたのだった。そして終いには第7話においてバンドからの脱退まで宣言する。

仁菜からしてみればかつての憧れがなぜこうも優柔不断な態度でいるのか、その理由を問い詰めるがその度に桃香はあいまいな態度でお茶を濁し、何度も口論に至るのだった。

二人の口論は回を重ねるごとに激化し、決定的な衝突が第8話にて描かれる。そして桃香は音楽活動を再開した理由についてこう語るのだった。

仁菜が歌っているのを見て、自分が最初に歌っている姿を思い出したんだ。
仁菜は「売れたい」とか「認められたい」とかじゃなく、好きな歌をただ歌っていた。
あのときの仁菜は、私が好きだった私なんだ。あのころの私なんだよ。
だから仁菜のまま歌い続けてほしかったんだ。
何にも縛られず、その歌を横で聴いていたかったんだ。

しかし仁菜は「私の気持ちはどうなるんですか」と、桃香の思いを否定する。そして平手打ちをかまして「私はあなたの思い出じゃない」と、徹底的に桃香を拒否する。

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「あなたの歌で、生きようとおもった人間もいるんです」/TVアニメ『ガールズバンドクライ』

『けいおん!』との決定的な差異がここにあるだろう。

比喩的に言えば、桃香は要するに「放課後ティータイム」を結成したかったのである。そしてたわいもない〈日常〉の中で、あらゆるしがらみに対して目を瞑り、無目的に音楽と戯れていたかったのだ。

しかし仁菜はそれに全力で「反抗」する。なぜならそうしなければむしろ仁菜の「日常」のほうが成り立たなくなるからだ。

かつての桃香の歌によって自身の正義感を貫き、高校を中退までした仁菜を受け入れてくれた大人は、周囲に存在しなかった。だから桃香にまでそれを否定されてしまっては、仁菜の「日常」の拠り所が消滅するのである。単身で上京し、未成年とは言えフリーターになり半分社会人として生きる仁菜が、「河原木桃香から受け取った勇気」も失ってしまうとき、その日常を支える根拠は何もない。「底辺」としての暮らしが待っているだけである。

自身の「日常」を守るため、仁菜には桃香に音楽活動を続けていてほしいという切実な思いがある。「日常」を守るためにこそ、〈日常〉に居直ろうとする桃香を否定せざるを得ないのだ。

〈日常〉の反転と大ガールズバンド時代

この構図は『ガルクラ』と同時期に放送されていたアニメ『響け!ユーフォニアム』(2015〜2024)第3期(『ユーフォ3』)の展開と共通する(シリーズ構成を『ガルクラ』と同じく花田十輝が務める)。

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