宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

Serial

  • 2015.09.01
  • 門脇耕三

【いよいよ単行本発売!】今、これからの「カッコよさ」について語るということ(門脇耕三)/ 全文無料公開

デザイナー・浅子佳英さん、建築学者・門脇耕三さんと本誌編集長・宇野常寛による鼎談シリーズ『これからの「カッコよさ」の話をしよう』。この不定期連載が、好評につきこのたび単行本・電子版同時に発売されました!
今朝のメルマガでは発売を記念し、門脇耕三さんによる書き下ろしの「まえがき」を全文無料公開します。


 

今、これからの「カッコよさ」について語るということ(門脇耕三)

この企画は、些細な偶然に端を発している。事の起こりは、宇野常寛さんの出演したトークイベントの会場に、僕と浅子佳英さんが居合わせたことだった。そのイベントは「衣食住」をテーマにしたものだったのだが、僕たちのこれからの生活はいかにあるべきか、刺激的な議論がさまざまに繰り広げられる中で、ある登壇者がこんな趣旨の発言を漏らしたのである。

「衣服にこだわるなんて、もはやそれ自体がカッコ悪いことで、鍛え上げられた健康な肉体さえあれば、なんでもないTシャツを1枚、さらっと着ているのが最もカッコいい」

この発言には、おそらくスーツのような社会的な体面を整えるだけでなんの合理性もないファッションへの批判が込められていたし、そんな格好をして不自由な思いをするよりは、自分の「生」こそを謳歌すべきだ、というメッセージも含まれていた。会場は「なるほど、これからの都市生活者はそうあるべきだよね」という感じで、同意の雰囲気に包まれていた。確かにその発言は、外面を気にしすぎた結果、生活が無駄であふれることを牽制する、そんな鋭さをもっていたのだけど、僕自身は普段スーツを着て仕事をするわけでもなく、むしろ堅いビジネスシーンにはあまりふさわしくないような自分の好きな服を着ることが日常になっているせいか、特にハッともせず、イベントが終わればそんな発言があったことさえ忘れてしまっていたかもしれない。

ところが、だいぶ遅い時間にイベントが終わって、たまたま会場で出会った友人の浅子さんと食事でもしようかと入ったその店で、注文も終わらないうちに彼が猛然と怒り出したのである。ちなみに浅子さんは、普段から怒りの沸点が低いキャラだ。何かにつけて、世の中の正しくないだろう動きを敏感に察知し、誰彼なく関西弁でまくし立てる。僕は浅子さんの、そんな正義感が強いところをとても信頼しているのだけど、とはいえ、いつものことだろうと最初はなんとなく受け流しながら聞いていた。しかし、どうもこの日は様子が違う。

「肉体を鍛え上げることがこれからのカッコよさだなんて、五体不満足なヤツはどうすんねん!」

浅子さんの感情の爆発は、この日だけでは収まりきらず、その数日後たまたま別の打ち合わせで宇野さんの事務所に集まったときも、浅子さんは宇野さんに怒りをぶちまけた。曰く、身体的な完全性を礼賛するなんて、あまりに時代錯誤な優生学的発想に他ならず、それを是としてしまったらカッコよくあることを目指すことさえ出来ない人間が、ごまんと生まれてしまうだろう。人間の文化の歴史は、「生まれながらのカッコよさ」を無批判に肯定しかねない考え方との闘いの連続であり続けたし、それを今の時代に断ち切るようなことは、同時代に生きる人間として絶対に認められない。そんな浅子さんの主張を静かに聞いていた宇野さんから、浅子さんと僕に向けて鼎談依頼のメールが届いたのは翌日のことだった。

「これからのカッコよさについて、二人と考えてみたい」

そんな経緯で始まったこの企画では、約1年をかけて、三人でさまざまな「モノ」を取り巻く「カッコよさ」について語り合った。取り上げたのは、ファッション、建築、インテリア、フィギュアなど。
正直に言って無謀な企画だったと思う。浅子さんと僕は空間のデザインを専門としていて、デザイナーとしての仕事もやっている。宇野さんは言わずと知れた日本を代表するポップカルチャーの専門家で、フィギュアなどの立体造形や、アニメなどの映像文化にも造詣が深い。とはいえ、中年にさしかかろうとしている、取り立ててカッコよくもない三人が、自分の専門外のことにまで首を突っ込んでその「カッコよさ」について語り合うなんて、滑稽としか表現しようがないだろう。しかし僕たちは、どうしてもこれからの「カッコよさ」について考えざるを得なかったのである。

僕たち三人は、ちょうど大学生の頃にインターネットが普及し始めた世代に属している。しばらくのあいだインターネットはオープンでフラットな議論の出来るプラットフォームが立ち上がることを夢見させてくれたし、それまでは雑誌でしか手に入らなかったファッションやデザインやカルチャーに関するコアな情報がもっと簡単に手に入るようになって、その結果、個々人の多様なあり方と生き方が際立ち、しかもそれを許容する成熟した社会が到来するだろうことを強く信じさせてくれた。ところが、それから20年後の現在、社会の趨勢はほとんど正反対と言ってよい方向に向かってはいないだろうか。
少しおかしなことをすれば、すぐにネット上にさらされて、非論理的で感情的な批判の集中砲火を浴びる。だから僕たちは政治的に正しい発言しかしないことを日常的に心掛けるようになったし、あるいはコミュニケーションツールは他人からより見えづらいものへと移り変わっていき、ネットでのやり取りはブラックボックス化している。
現実世界でもおかしなことをしないように慎重に振る舞い、モノゴトの善し悪しについて仮説を立てながら議論するような場面は極力避け、とにかく空気を読んで、この場で何が正しいこととされているのか、それを察知してからでないと一切の行動を起こさない。そんな個々人の振る舞いが定着したからだろうか、政治はいつの間にか全体主義的とさえ言える様相を帯び始めている。つまり世の中は言いようのない閉塞感にとらわれつつある。

しかし、「モノ」が宿すカッコよさは、場の空気なんて一切読まずに立ち現れる。そして、「モノ」が宿すカッコよさのありようは、空気を読むことに馴れきって同質化を深めるばかりの僕たち人間より、ずっと多様だ。そんな「モノ」の姿に魅了されることによって、僕たちの精神は「モノ」の世界と架け渡されて、より自由に、多様なありようへと解放される。僕たち三人は、そんなところにこれからの「カッコよさ」について考えることの可能性を見たのだと思う。
ただしこのことは、バーチャルなインターネットの世界からリアルな「モノ」の世界に回帰すべきことを主張するものではない。これからの「カッコよさ」を湛えた新しい時代の「モノ」たちは、当然インターネットの存在を無視しては成り立たないだろうし、そもそもインターネットはバーチャルな段階をすでに脱して、リアルな社会と人間の行動に深く影響を及ぼす存在に成長している。インターネットは、あるいは現実世界の環境そのものへと変貌したと言ってもよいだろう。
僕たちは、インターネットが環境化したのち、「モノ」がいかに変貌したかについて、対象を変えながらも繰り返し語っており、そのこと自体が本書の主要なテーマの一つにもなっている。つまり僕たちを取り巻いている多様な「モノ」たちは、この社会の姿を如実に反映しているのであり、だからこそ、その中でもこれからの「カッコよさ」を備えていると呼ぶに足る「モノ」たちは、来るべき社会と、そこでの人間の存在のあり方を予言し、牽引する力を秘めていると言っても差し支えないだろう。

したがって本書で語られている「カッコよさ」は、「他者のまなざしを意識したカッコよさ」とは全く別種のものであり、それは「近い未来に僕たち自身がいかにありたいか」が付託された「カッコよさ」に他ならない。まなざしが未来に向けられているのだから、語りにある程度の不確かさがある側面は否めず、その点はどうかお許しいただきたいと思う。しかしその反面、多くの可能性と予感に満ちた議論を収めた一冊となった。先に述べたとおり本書での議論は、閉塞感に満ちた現状への小さな抵抗として始まったものなのであるが、そこから少しでも未来への希望が垣間見える議論に展開したのであれば、これ以上に嬉しいことはない。

(この続きは、発売中の『これからの「カッコよさ」の話をしよう』で!)

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浅子佳英 (著), 宇野常寛 (著), 門脇耕三 (著)『これからの「カッコよさ」の話をしよう』
(紙版、電子版同時発売です)

【内容紹介】

宇野常寛が編集長をつとめるメルマガ「ほぼ惑」書籍化第3弾。無印良品とユニクロ、建築、インテリア、ホビーなどを通して、これまでの、そしてこれからの「カッコよさ」のあり方を考える。

【目次】

まえがき 今、これからの「カッコよさ」について語るということ 門脇耕三

1 デザインと思想
「カッコよさ」が語られなくなった時代に ── 画一化する価値観のオルタナティブを問う

2 ファッション
ライフデザイン・プラットフォームの可能性 ──「無印良品」と「ユニクロ」の哲学を読み解く

3 住宅と建築
理想の邸宅を求めて ── 年の変遷から考える住環境の過去と現在

4 インテリア
テーマパーク化する室内空間 ──「内装」はモノとヒトとのあいだをいかに設計してきたか

5 ホビーとグッズ
デザインとしての立体玩具 ── おもちゃが表象する欲望と戦後日本社会

6 プラットフォームと文化
情報技術とプロダクトが変える世界 ──「モノ」を中心とした新しいカルチャーの未来

あとがき 「カッコよさ」とは何か 浅子佳英

【著者について】

浅子佳英:1972年生まれ。建築家・デザイナー/タカバンスタジオ所属/国士舘大学非常勤講師(インテリアデザイン)。
建築作品に「gray」。装丁に『閉じこもるインターネット』(早川書房)、『マスタースイッチ』(飛鳥新社)、『原子爆弾とジョーカーなき世界』(KADOKAWA)など。論考に「コム デ ギャルソンのインテリアデザイン」(『思想地図β vol.1』所収、コンテクチュアズ)など。また、日本建築学会主催のイベント展示「東京2020オリンピック選手村代替案」を手掛けるなど幅広い分野で活躍する。

宇野常寛:1978年生まれ。評論家/批評誌『PLANETS』編集長。
著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『原子爆弾とジョーカーなき世界』(KADOKAWA)、『楽器と武器だけが人を殺すことができる』(KADOKAWA)。共著に濱野智史との対談『希望論』(NHK出版)、石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)。京都精華大学非常勤講師、立教大学兼任講師も務める。

門脇耕三:1977年生まれ。建築学者/明治大学専任講師。専門は建築構法、建築設計、設計方法論。
効率的にデザインされた近代都市と近代建築が、人口減少期を迎えて変わりゆく姿を、建築思想の領域から考察する。編著に『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』(LIXIL出版)ほか。