宇野常寛責任編集 PLANETS 政治からサブカルチャーまで。未来へのブループリント

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  • 2015.12.18
  • ベイマックス,宇野常寛,落合陽一

ディズニー/ピクサー的CGアニメは「宮崎駿的手法」を取り込むことができるか?――落合陽一、宇野常寛の語る『ベイマックス』

ネットでもリアル書店でも話題沸騰中の落合陽一さんの著書『魔法の世紀』。本の内容をさらにフォローアップすべく、PLANETSメルマガでは落合さんがこれまでに登場した記事を無料公開していきます!
本日お届けするのは、今年公開の3DCGアニメ『ベイマックス』をめぐる落合さんと宇野常寛の対談です。落合さん独特の技術史的観点を交えながら、ディズニー/ピクサーが今後どこへ向かうのかを語り合いました。(初出:『サイゾー』2015年3月号(サイゾー))


 

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▼プロフィール
落合陽一 (おちあい・よういち)
1987年生,巷では現代の魔法使いと呼ばれている。筑波大でメディア芸術を学んだ後,東京大学を短縮修了(飛び級)して博士号を取得。2015年5月より筑波大学助教,落合陽一研究室主宰.経産省より未踏スーパークリエータ,総務省より異能vationに選ばれた。研究論文はSIGGRAPHなどのCS分野の最難関会議・論文誌に採録された。作品はSIGGRAPH Art Galleryを始めとして様々な場所で展示され,Leonardo誌の表紙を飾った。応用物理,計算機科学,アートコンテクストを融合させた作品制作・研究に従事している。BBC,CNN,TEDxTokyoなどメディア出演多数,国内外の受賞歴多数.最近では執筆,コメンテーターなどバラエティやラジオ番組などにも出演し活動の幅を広げている。

◎構成:有田シュン

▼作品紹介

『ベイマックス』
監督/ドン・ホール、クリス・ウィリアムズ 脚本/ジョーダン・ロバーツ、ドン・ホール 原作/『ビッグ・ヒーロー6』 製作総指揮/ジョン・ラセター 配給/ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ 公開/14年12月20日

“サンフランソウキョウ”に住む天才少年ヒロ・ハマダは、兄タダシに見せられた工科大学のラボや、彼が作ったケアロボット「ベイマックス」に衝撃を受け、飛び級入学のための研究発表会に参加する。見事合格を勝ちとるが、直後に会場で火災事故が発生。残されたキャラハン指導教授を助けるべく、タダシは火の中に飛び込んでいった。兄を亡くした失意からヒロは心を閉ざしてひきこもるが、タダシが残したベイマックスと再会し、さらに自身が研究発表会のために製作したマイクロボットが何者かに悪用されていることを知り、タダシの死に隠された真相があるのではないかと疑問を抱く。ベイマックスのバージョンアップと、兄のラボの友人たちにパワードスーツや武器等を製作し、共に敵の陣へと乗り込んでゆく。
東京とサンフランシスコを合わせたような都市が舞台だったり、主人公たちが日本人とのハーフだったり、設定からして日本の要素が多く取り入れられた、ディズニーアニメの最新作。

落合 『ベイマックス』は予告編の印象と全然違って【1】、『アイアンマン』(08年)万歳! と思っているような理系男子の話をアニメで作るとこんな感じかな、と思っておもしろく観ました。ヒロがキーボードを叩いて、3Dプリンタとレーザーカッターでなんでもつくれる万能キャラという非常にコンティニュアスに成功したナードとして描かれているのは新しいし、研究と開発が一体化していることに誰も疑問を抱かないところを見ると、観る人の科学に対する意識がアップデートされているのかなとも思えた。頭のいい奴が手を動かせば、そのままモノをつくれるというイメージがつくようになったのはすごくいいなと思う。登場人物たちが、極めてナチュラルにモノをつくっているんですよね。ディズニー映画の製作期間はだいたい4~5年くらいと聞くから、『ベイマックス』はちょうど2010年代前半につくられたとすると、ちょうどプログラマーという人が簡単に社会変革を起こすものをアウトプットできるようになった時期なんですよね。だから、このタイミングでこういう作品というのは必然なのかもしれない。

【1】予告編の印象と全然違って:日本で公開されていた予告編では「少年とロボットのハートフルストーリー」のように見せられていたが、実際のところはアメコミ原作だけあってヒーローものになっている。

宇野 ゼロ年代のディズニー/ピクサーだったら、兄貴がラスボスになっていたと思うんだよね。対象喪失のドラマという要素をもっと前面に出して、科学のつくる未来に絶望した兄貴と、科学の明るい未来を信じるヒロ君が対決する。単純に考えたらそっちのほうが盛り上がったと思うけど、今回のスタッフはその方向を取らなかった。個人的な動機に取りつかれた教授が暴走【2】する話になっていて、ヒロと科学をめぐる思想的な対立をしていないんだけど、そこは意図的にそうしたんじゃないかな、と。ピクサーの合議制のシナリオ作り【3】の中で兄弟対決が挙がらなかったわけはないんだよね。そういうあえて選択された思想的な淡白さが、今回のひとつのポイントだと思う。

【2】教授が暴走:事故で兄タダシと一緒に死んだと思われていたラボの指導教官。ロボット工学の天才博士が、ある個人的な動機に基づいてヒロの発明品を悪用しようとしていた。
【3】合議制のシナリオ作り:ディズニー/ピクサー作品においては、複数のスタッフがストーリー会議を行って脚本をつくり上げているのが有名。

落合 もういまや科学技術批判が意味を持たない、ということが重要なんだと思う。科学技術批判、コンピューター批判してられないだろうっていうのは、『ベイマックス』のひとつの重要なファクター。今までの流れだったら、ヒロ君が作ったナノボットが知恵を持って暴走して人間に攻めてくる、みたいなシナリオもありだったと思うんですよ。でもそっちにはもういけないよね、と。

宇野 ピクサーは、特にジョン・ラセター【4】は『トイ・ストーリー』(95年)から一貫してイノセントなもの、たいていそれは古き良きアメリカン・マッチョイズムに由来する何かの喪失を描いてきた。アニメでわざわざ現実社会に実在する喪失感を、それも一度過剰に取り込んで見せて、そして作中で限定的にそれを回復してみせることで大人を感動させてきたのがその手口。『バグズ・ライフ』(98年)も『ファインディング・ニモ』(03年)も『Mr.イングレディブル』(04年)も『カーズ』(06年)も全部そう。そして『トイ・ストーリー3』(10年)は、そんなラセターのドラマツルギーの集大成で、あれは要するに観客=アンディにウッディとの別れを告げさせることで、ピクサーが反復して描いてきたものが映画館を出たあとの現実社会には二度と戻ってこないことを、もっとも効果的なやり口で思い知らされる。
しかし、その後のディズニー/ピクサーはこの達成を超えられないでいると思う。『シュガー・ラッシュ』(12年)はガジェット的にはともかく内容的にはほとんどセルフパロディみたいなもので、『アナと雪の女王』(14年)は、保守帝国ディズニーでやったから現代的なジェンダー観への対応が騒がれたけど、要は思い切って非物語的なミュージカルに舵を切ったものだと言える。そしてこの流れの中で出てきた『ベイマックス』は、ラセターが持っていた強烈なテーマや思想を全部捨ててしまって、ほとんど無思想になっている。単にこれまで培ってきた「泣かせ」のテクニックがあるだけで、これまで対象喪失のドラマに込められてきた「思想」がない。そこで足りないものを補うために、今回はアニメや特撮といった日本的なガジェットをカット割りのレベルで借りてきている。言ってしまえば、定式化された脚本術と海外サブカルチャーの輸入だけで、ピクサー/ディズニーの第三の方向性としてこれくらいウェルメイドなものがつくれてしまったということにも妙な衝撃を受けたんだよね。

【4】ジョン・ラセター:ピクサー設立当初からのアニメーターであり社内のカリスマ。06年にディズニーがピクサーを買収し、完全子会社化したことでディズニーのCCOに就任。ディズニー映画にも多大な影響を及ぼしている。

■ 3つに分岐したCG表現の矛先

落合 『モンスターズ・インク』(01年)の頃までのピクサー映画は、いかに新しいレンダリング技術を取り入れて映画を作るかがサブテーマだったんです。『トイ・ストーリー』の頃はツルツルしたものしかレンダリングできなかったけど、『モンスターズ・インク』はモッサリした毛の表現ができるようになった。そこからしばらくはそうした技術の進化を楽しむ作品がなかったんだけど、『アナ雪』では雪のリアルな表現ができるようになった。あの雪の表現をつくるために書かれた論文があって、それなんか本当にすごい。雪をサンプリングして一個一個の分子間力を分析することで自然のパウダースノーをレンダリングするっていう。またこれで技術を見せる作品が続くのかな、と思ったら『ベイマックス』には何もなかった。だから、またそういう時代が数年続いて、その後にまったく新しいものが出てくるんだろうと思っています。

宇野 表現技術の話でいうと、ピクサーが考えているアニメの役割は、現実にはまったく存在しない作りこまれたもうひとつの世界を描く、ってことだと思うんだよね。ピクサーの前身はルーカス・フィルムの一部門【5】だけど 、ジョージ・ルーカスはCGをあくまでも特殊効果としか考えていないのが、『スター・ウォーズ』を観ているとよくわかる。対するピクサーは、CGで映画そのものを描くということにこだわっている会社だよね。

【5】ピクサーの前身は~:ルーカス・フィルム内で、現ピクサー社長であるエド・キャットムルを中心にして79年に立ち上げたアニメ部門が、86年にジョブズによって買収され、独立してピクサーとなった。

落合 そう、ピクサーはそこにすごいこだわりがある。そしてさらに別の極として、ジェームズ・キャメロンのCGがあります。アニメでもなく、ルーカスのような特殊効果としてでもなく、完全にリアルな方向。『タイタニック』(97年)で沈む船を見ても誰もあれをCGだと思わない。『アバター』(09年)もCGでしかつくりえないんだけど、完全に人間じゃないような見た目の奴らが出てくるので、誰もそれをCGだと思わない。
この中で考えるなら、キャメロンの一人勝ちが僕の考えです。ジェームズ・キャメロン的なアップデートの仕方を、グラフィックス業界はもっと受け入れなきゃいけないと思う。例えばオキュラス・リフト【6】とかが出てきて、世の中の流れは明らかにそちらになっている。要は、人間を現実からどうアップデートしていくかという動きがトレンドです。

【6】オキュラス・リフト:加速度センサーがついた、VR志向のヘッドマウントディスプレイ。最近ではバラエティ番組で、出演者にジェットコースターのバーチャル体験をさせるなどの用途でも使われている。

宇野 なるほど。現実を部分異化するための道具としてCGを使うというルーカス的な発想があり、また20世紀のアニメーション、カートゥーンそのものに対する愛情っていうのが強烈にあって、それをいかにCGによってアップデートするのかを考えているラセター的な発想があり、人間の現実世界での操作可能性を上げるためにCGを使うというキャメロン的な思想があり、最終的にはキャメロンが勝っていくと。
これは結構おもしろい問題で、つまり『トイ・ストーリー3』の最後にアンディとウッディが別れたけど、ピクサーはこの先アンディを描いていくのか、ウッディを描いていくのか、ってことなんだよね。アンディを描くのならキャメロン的な方向にぶれるしかない。ウッディならそのまま。

落合 毎年アメリカで行われているコンピュータグラフィックの国際会議「SIGGRAPH」のトレイラーでは、その年に一番受けたCG作品が世界中から集まってくるんですが、今年のラインナップを見るとやっぱりフォトリアリスティックなものが多い。いまや業界的には、完全にカートゥーンで攻めるか、リアルをアップデートする方向に行くのか、特撮効果として何かに混ぜるのか、に分かれている。

宇野 それってまさにウッディかあるいは超リアルなアンディか、に分裂しているわけだよね(笑)。それを考えると、ピクサーは、『トイ・ストーリー3』までは二次元アニメーションへの憧憬というものがもう時代遅れになって成立しない時代になった、でも俺たちは好きだから復活させたいんだ! というメッセージを、アメリカンマッチョイズムに重ねあわせて描いていたけど、そのテーマはもうやり切ってしまった。少なくともウッディの側を突き詰めていくドラマは限界に直面していて、技術的にもそこを乗り越えつつあり、語るべき物語がなくなってしまった。そこで、自分たちの原点にあるテクノロジーへの思いを再確認することしかやることがなくなっているのがおそらく『ベイマックス』であるということだね。しかしそうなると、ピクサーが今後キャメロンに対抗するには何が必要なんだろう?

落合 圧倒的な作家性を持った、リアリスティックなアニメーションです。そしてその作家性が、アニメじゃないとできないものであること。

宇野 なるほど。いま落合くんは2つの鋭い批判をしていて、ひとつは「もう本当にウッディとお別れしないとダメだ」ということ。つまりカートゥーン的なもののアップデートという主題から離れることを考える時期だ、と。もうひとつは「宮崎駿をやれ」と言っているんだよね。宮崎駿こそ、「アニメだからこそ人間を描くことができる」という確信に支えられた作家だから。そしてそれは今のピクサーの技術力と合議制のシステムで、宮崎駿の作家性に対抗できるようなものを作らないと駄目だ、ということでもある。

落合 ピクサーの人たちは、「俺たちは宮崎駿をアップデートできる」って思ってるはず。12年にピクサーが公開した『ペーパーマン』というショートフィルムがあって、2Dアニメーションとして作られた3Dアニメーションなんですけど、これが発表されたときに「こっちにいくのか!」と衝撃を受けたんです。つまり、宮崎駿を3DCGでアップデートするには、一回全部三次元で構成した上で二次元に戻す、みたいな作家性が必要だよな、と。これは絶対に5年以内に本気でやってくるな、と思ったんですよ。日本人は十八番を取られる、と思った。

宇野 つまり、集団作業で宮崎駿をつくれるようになる、と。

落合 そう!日本の優れたアニメーターが描いてきた特殊な動きってあるじゃないですか。宮崎駿のゾワっとするところというか。『ベイマックス』でもそういうところを完全に回収しようとしていて、多分今後はどんどんこれをやられるな、と思った。

宇野 ウッディとお別れしてやることがなくなったあとで、見つけたもののひとつが宮崎駿のような日本的アニメーションの取り込みで、『ベイマックス』もそのひとつだと。入り口ではあるということなんだよね。今、ピクサーがぶつかっているのはアニメーションの歴史そのものに対しての夢をどう転換するか、という壁。CG技術、グラフィック技術の持つ、人類に対しての批判力をどう維持するかっていう壁に直面している。

落合 そうですね。でもこれは、人類数千年の表現の歴史の最先端で悩むってことだから、そこで重要なのが、ピクサーがどういう迷い方をしてもとりあえず見てあげることですね。コンピュータグラフィックスという実は巨大な思想的な分野で戦えている会社は、ピクサー以外にありませんから。

(了)